「湖里庵」左嵜 謙祐氏に聞く、伝統と現代の感性で魅せる鮒寿しと琵琶湖の恵みの奥深さ

滋賀県高島市マキノにて、風情ある奥琵琶湖を望む「湖里庵」。滋賀の伝統食・鮒寿しの味を230余年受け継ぐ「魚治」が営む一日一組をもてなすオーベルジュです。2018年9月に台風21号によって全壊してしまいましたが、2021年に再建、新たなスタートを切りました。今回は「湖里庵」主人の左嵜謙祐氏に、伝統と現代の感性で魅せる鮒寿しと琵琶湖の恵みについて、お話を伺いました。

230余年続く鮒寿し店が大切にしてきた伝統の味

―「湖里庵」さんは、もともと向かいにある「魚治」さんが始めたお店だそうですね。

母体の「魚治」は1784年創業で、この地で230余年続いています。初代は魚屋を営んでいまして、魚をいかに保存するかが課題でした。江戸時代なのでもちろん電気もありませんし、冷蔵庫もないため乳酸菌の力を借り保存技術を駆使した結果、鮒寿しが生まれました。

鮒寿しは空気中にいる乳酸菌が自然に入って作ってくれる食べ物なんですね。日本酒でいうと「生酛(きもと)造り」に似ていますが、その場所にいる乳酸菌が味を決めるため、この場所と隣の家で作るのでは味が違うんですよ。蔵と作り手によって味が変わるため、当時初代がつくった鮒寿しを皆さんからも美味しいと喜んでいただけたそうで、鮒寿しを作る量が増え、鮒寿し屋として商いをすることになりました。今は私の代で7代目となります。

―料亭旅館を始められたきっかけは?

ここから見える古い桟橋の杭が出ている場所が、「旧海津港」の跡地なんです。古い文献では、源義経が京都から奥州を目指すときにここを通ったと書かれていて、その当時からあった古い港町でした。琵琶湖でも一番北側なので、船を降りたらすぐに日本海に出られる、海に一番近い港という意味です。北陸と京都を結ぶ中継地点として栄えた港ですが、最終便で着いたらもう峠を越えるには暗いとか、峠越えてきたらもう最終の船が出ていたということがありました。
鮒寿しの仕込みは年に何回か、その後は熟成させるため、この場所で空き時間に食事と簡易宿泊所を営むようになったそうです。いつからか具体的にわからないんですが、明治時代の献立が残っていたので、その頃には料理をお出ししていたようですね。

もともとは魚治の「浜の家」という名前でした。僕が小学生までその屋号でしたが、よくお越しいただいた作家の遠藤周作先生が「湖里庵」という名前を付けてくださったんです。

鮒寿しの味と、ここから見える湖の景色が北欧のフィヨルドのようだと気に入られて通ってくださっていました。当時先代が建て直しをして、その建物が綺麗だから、せっかくなら料理屋さんらしい名前にしたらどうやと。

遠藤先生は純文学のイメージですが、面白いエッセイを書かれる際は「狐狸庵」というペンネームを使っておられました。その名前をもじって、湖の里に庵という名はどうだと。字面が綺麗で、先生と同じ音なので恐れ多いですが、玄関の掛け軸に直筆の書をかけさせていただいています。

―とても素敵なお名前ですね。鮒寿し懐石も、遠藤先生とのご縁で作られたと伺っています。

先代が先生から「ここでしか食べられないものを作ってくれると嬉しい」と言われたようで、鮒寿しを料理に取り入れながら懐石料理を出すようになりました。季節を変えて色々な形で鮒寿しを出すうちに、皆さんも喜んでくださいました。ある程度鮒寿しの料理のレパートリーが増えるうちに、鮒寿しをメインにしたような「鮒寿し懐石」ができないかと。

鮒寿しって、特に関東だと馴染みのない食べ物だと思うんですね。香りが強くクセがあり、酒の肴や珍味という印象があるのではないでしょうか。
お酒と一緒じゃないと食べられないという印象を、先代が少しずつその部分を和らげていきました。僕は鮒寿しを食材として使うことで可能性を広げられないかなと思って、今の時代にあった提供の仕方をしています。

―食材としての可能性を感じたのは、どのような部分でしょうか?

本来、滋賀県では鮒寿しは家庭で作られるもので、お祝い事やお正月に家で作った鮒寿しを食べたり、招待された家で鮒寿しが出てくると“歓迎”の意味があるような食べ物でした。時代が代わり専門店が作るようになると、特別なときの食べ物みたいになってきて、伝統食が食卓から離れていくような気がしました。日常で使われてこその伝統かなと思うので、食卓に戻ることを考えていかないといけないと思いまして。

2013年頃に食文化学者の方から、ラオスに「熟れ鮨(なれずし)」の原型がまだ残っているので、作り手として似ているか、判断してくれないかと誘われました。「ソムパー」という食べ物で作り方も味も本当に似ていましたが、そのまま食べるというよりは食材として料理に入れていたんです。炒め物に入れると、魚の色々な旨みが出て美味しいと感じました。それを見たときに、鮒寿しも必ずしもお酒に合うことにこだわらず、食材としての要素を分解しながら料理に使ったら面白いんじゃないかと始めてみたのがきっかけですね。

私は修業を終えてから父と一緒に仕事をする期間はありましたが、早くに父が他界したもので、どちらかというと父親がやってきたことを引き継がなければという思いが強くありました。父親がいなくなったから変わったと言われないよう、追いつくところから始めないといけないですし、それが少しずつ形になってきた2013年くらいから、鮒寿しを使った料理のバリエーションを徐々に増やしています。

食べ歩きも好きだったので色々な他の国の料理を食べに行き、こういうニュアンスの発酵食品ってこういう料理に使っても面白いとか、日本料理に応用できるか、という感じで料理を考えていきました。
当時は鮒寿しが食べられる「鮒寿し懐石」と「近江懐石」という2種類がありました。好き嫌いもあるでしょうし、食べられない方にはこっちを用意してます、みたいなスタンスで料理をしていたんですが、2018年の台風で建物が飛んでしまいまして、1回リセットされてしまいました。

新生「湖里庵」が目指す地産地消の形

―2018年9月に、建物は台風21号によって全壊してしまいましたが、再建にあたり鮒寿しの蔵は損害を免れたそうですね。

この建物は大きく被害を受けましたが、蔵と住居は道を挟んだ向かい側にあって、窓が何枚か割れた程度の被害で済んだのが一番ありがたかったです。蔵に生きている菌の再現は難しいですし、そもそも蔵に出入りできるのは代々の当主のみしか許されないほど、守ってきたものですから。

蔵はあっても料理をできる場所が無かったところ、ちょうど「自遊人」の岩佐さんが運営されている「HOTEL 講 大津百町」を開業された頃(2018年8月)でして、ダイニングスペースを週末限定で使わせていただけることになりました。

「HOTEL 講 大津百町」

このダイニングスペース「近江屋」は主に朝食をいただく、カウンターとテーブル4席ほどの場所でした。出張みたいな形で行くので、いろいろなコースを提供するのはなかなか難しく、最初は海のものを使うコース料理でスタートしました。

全壊する前の店はお座敷で、お客様が食べられている姿を見れなかったのですが、カウンター割烹スタイルで料理を出してお客様が食べながらお話をするうちに、気づいたことがあります。この料理だと隣の料理屋さんでも食べられるかもしれないし、自分が作る理由が見つけられないと。今まで琵琶湖のそばで料理をしていたときには気づかなかったのですが、この地域の魚屋が自分のルーツで、琵琶湖の魚や地域の食材について伝えることが自分の料理をする理由なのかもしれないと感じました。

それからは琵琶湖の魚しか使わないと決め、決めた以上は良さを分かってもらおうと説明しながら料理を提供したら、すごくお客様が喜んでくださって。初めて自分が料理する理由みたいなものがやっとわかりました。

なかなか滋賀に来て滋賀のものを食べられる場所ってないようで、地元のものだけで料理を食べられたのを喜んでいただけたようです。それで、琵琶湖の見えるところだったら、もっと臨場感のある伝え方ができるんじゃないかなと。

―その経験から、新しいお店ではこのようなカウンターのスタイルを取り入れられたんですね。

2年間カウンターでの仕事をさせてもらううちに、新しい店では、自分たちでしか伝えられないってことを、お客様に直接表現できる場所を作りたいなと。食材が育つ景色を見ながら食べられるように、カウンターの傾きも工夫しています。それ以外の席でも背を向けて座られる方がないように席を配置しています。

また、琵琶湖の美しさ、綺麗な水がある環境を直接見ていただくことで、食材の理解を得られれるのかなと思います。鮒は滋賀県以外にも全国に広くいますが、田んぼのあぜや溜池など、澄んだ水に生息していないため、食べる印象のない魚だと思われている。琵琶湖の淡水で綺麗な水の中に住んでいる魚ということを知ってもらって食べてもらえると、琵琶湖に生息する魚への理解もより深まっていくのかなと思います。

―実際に訪れてみると海外のリゾート地のような美しさで、琵琶湖の穏やかな風景に心が洗われますね。日本にまだこんな場所があるんだ、と改めて思いました。

2021年に「湖里庵」を新しくしてから来てくださるお客様は、コロナ禍で海外に行けないから来てくださった方が、結構リピートしてくださいます。宿泊のお客様は7割ぐらい関東の方で、名古屋や大阪、神戸あたりの方は2時間程度の小旅行としていらっしゃいます。「一日一組」という形なのも、先代が家族経営の店だったから。母親も子育て世代で、何組も面倒見切れないという形で2階を貸し切って泊まっていただいていたんです。

時代の流れなのか、色々なメディアで一日一組の贅沢なオーベルジュと前向きに捉えてくださって、再建の際により楽しんでもらえるようにと宿泊のお部屋造りにこだわり、2階へは、お泊りのお客様専用のエリアにしました。

どのようなお部屋にしようかと思った時に、以前泊まられたお客様の言葉が心に残っていて。沢山の荷物を持っていらして、重いなと思いながら2階まで運んだときに「お仕事ですか」と伺ったら、「読み残した本を持ってきたんや」とおっしゃったんです。「食事の時間以外は部屋で本を読んで過ごしたい、この場所はそういうことができる場所なんや」と。

何かサービスをするっていうよりも、お客様が食事以外の時間を自分の時間として楽しんでもらえるような場所として、この風景を楽しめるようにしました。お客様には食事のとき以外は僕らもお伺いしませんし、お客様も呼ばれることはほぼなくて、静かにお過ごしいただく方が多いですね。

―これからの「湖里庵」をどういうような形で運営されたいとお考えですか?

お泊まりいただくと長い時間を過ごしてもらえるので、この地域のことをより知ってもらえるかと思います。客室で使ってもらう小物や設えは、地元の工芸家の方や、大工さんに作ってもらったものが多いのですが、綺麗さだけでなく道具としての良さを実感していただけるので、地域の色々なものを体験できるような工夫をしていきたいです。

料理を通してやりたいことは、お客様に食事を通してこの地域を知ってもらうこと。できることなら、食材の半径を縮めて、ここだからこそ食べられる、湖のジビエのようなものがあるということを紹介していきたいですね。

元々流通しない地域の味は、魚の鮮度もある程度影響します。足が早すぎて遠方に届かず、通常のルートにのらない魚も琵琶湖にはいっぱいいます。琵琶湖の恵みを発信し、この場所に行かないと楽しめないものをお出しして、知っていただきたいという思いで料理をしています。そして、美味しい魚を食べるためにここまで足を伸ばそうと思ってもらえるような場所作りをしていきたいですね。

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【プロフィール】
左嵜 謙祐
奥琵琶湖にて創業230年以上の鮒寿しの老舗「魚治」の家に生まれ、幼い頃から家業を手伝う。
大学卒業後、「京都吉兆嵐山本店」で3年間の修業を経て、2003年より父が営む料亭「湖里庵」でともに働く。
その後七代目当主に就任するが、2018年の台風により店が全壊。再建に向けて動くなか、この地で店を開くことの意義を見つめ直し、よりオリジナリティを追求した料理を構想。
2021年、満を持して再スタートを切った。

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【編集後記】

郷土料理・鮒寿しを用いたメニューの数々は、今までのイメージを払拭するような「初めて出会う、新しい美味しさ」を実感するものばかりでした。刻一刻と表情を変える穏やかな琵琶湖を望む場所で、ここだけの味を楽しむ。伝統的な土地の恵みを新たな発想で今に伝える「湖里庵」、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。

「湖里庵」 HP : https://korian.jp/

Airi Ishikawa

一休のメディア事業部長。日本全国を旅しながら、その道のプロにインタビューや取材をしています。休みには足をのばして国内ワイナリーを巡るのが好き。地産地消や、生産者に近い距離で食材や料理に向き合う「極みのシェフ」がいる店をご紹介します。
【MY CHOICE】
・最近行ったお店:銀座 しのはら / 南青山 まさみつ / サエキ飯店 / コートドール
・好きなお店:鮨 梢 / フランス料理 エステール / コンチェルト / エンボカ 京都
・注目しているお店:SeRieUX / プルサーレ / bistronomie Avin
・得意ジャンル:フレンチ / バー
・好きな食材:山菜 / 鴨

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