「京の持ち味、浪速の喰い味」。プレミアム美食メディア「KIWAMINO」では今回、その喰い味を極めた「浪速割烹 喜川(㐂川)」の店主・上野修氏の独占インタビューが実現。「志摩観光ホテル」での修業時代から先代・上野修三氏との思い出、withコロナ時代における料理店の心構えまで、大阪・料理界のレジェンドについて、とことん深掘してお届けします。
巨匠のもとで研鑽を積んだ修業時代
―まずは修業時代のことについてお聞かせください。
料理人としてのスタートは19歳の時。先代でもあるオヤジの「浪速割烹 喜川(㐂川)」で始めました。やっていくうちに、料理にのめりこんでいって、「もっと視野を広げたい!」という思いが強くなっていきましたね。
それで、日本のフランス料理を牽引してきた高橋忠之さんを訪ねて、「志摩観光ホテル」のメインダイニング「ラ・メール」に移って、フランス料理を一から学ぶことになったのです。
―多くの料理人の方から慕われる巨匠のもとで、フランス料理の道へという選択肢もあったのではないですか。
正直なところ、迷いはありました。フランス料理に魅了された部分は本当に多かったと思います。気がつけば、「志摩観光ホテル」では5年の歳月が流れていました。自分なりにですが、フランス料理たるものの端くれが見え始めた頃でもあって、充実した毎日を過ごしていました。
一方で、20代半ばも過ぎていましたから、日本料理の担い手として再スタートするには急がねばならない頃でもありました。
まずは、ということで高橋師匠に相談しますと、『お前はこのまま志摩に残って、フランス料理を続ければ良いじゃないか!』と言ってくださって。
―でもその後「浪速割烹 喜川(㐂川)」の2代目を継ぐことになって……
そこは、まんまとオヤジにやられてしまいましたね。高橋師匠から嬉しいアドバイスをいただいたものですから、そのお話を持ち帰らせていただき今度は父に相談しますと、『あの方がそんな風に言うてくれはったんやったら、有難いしそうしてもエエ。けど、もしお前が帰ってきて喜川(㐂川)を継いでくれたら、ワシャこんな嬉しいこと無いけどな……』と。
情に訴えるやり方、ズルいですよね。それで結局家を継ぐことを決意しました。
「好きなことをせんとやっとれんわい!」
―1994年にお店を継がれました。受け継ぐ際の2代目としての工夫や、苦労したことをお聞かせください。
実際に受け継いで厨房に立ってみると、技術も何もかもが未熟者だったのだと気づいてしまう。どうしても慌ててしまいますよね。だから、「何かしないと……。何か先代と違うことをしないといけない」と思い、あれこれ試してはみましたが、裏目にでることも多かったと記憶しています。
お客様から『こんなこと先代はやらん!』と厳しいお言葉をいただくことも。また、何もしなければしないで、『こんなん先代と一緒やないかい!』と言われることも。
思い返すと、悩み塞ぎこんだ時期もありましたが、ある時「何をしてもせんでも何か言われるなら、いっそ好きなことせんなやっとれんわい!」と開き直ったんです。これが功を奏したのか、スッキリしたんでしょう。自分の世界を徐々に築き上げることができていったのです。
これぞ浪速割烹の醍醐味を本場で楽しんで!
―15年以上の歳月が経ち、多くの料理人が「浪速割烹 喜川(㐂川)」で研鑽を積み、その後活躍しています。一門を取りまとめるご自身として、「浪速(大阪)料理」の魅力や楽しみ方はどこにあるとお考えですか?
「浪速(大阪)料理」を語るうえで欠かせないのが、「始末の心」と「喰い味」「天下の台所」という3つのキーワードだと考えています。魅力や、楽しみ方のヒントも、それぞれのキーワードを紐解くと出てくるのではないでしょうか。
「始末の心」は、無駄を出さず合理的に調理するということ。もったいないからというだけでなく、実は味にも関係しているんですよ。食材の良い部分だけを使うのではなく、それ以外の部分も使いこなすことで最終的に美味しくなるという考えもあるのです。もちろん、結果として、安くて美味しいお料理が仕上がります。「浪速(大阪)料理」の魅力の一つと言えますよね。
「喰い味」は、「浪速(大阪)料理」の特徴を語る時にもよく使われるので、聞いたことのある方も多いのではないでしょうか。料理人の視点に立てば、真昆布を主体にした出汁を用いることで、深みがあって、調味料に頼りすぎない味だとも言えると思います。すなわち、どの地方でも、どの国の方がお店にいらして召し上がっても、それなり以上に美味しいと思っていただける味なんだと思います。ぜひ、そのグローバルな味を楽しんでいただきたいですね。
最後は「天下の台所」。浪速は本当に食材が豊富なんですよ。立地面でも、前は海、後ろは山の浪速は、もともと地元食材に恵まれているんです。また、商人の街でもありますから、地方の食材や情報が豊富に入ってくる伝統もあります。地元と全国の食材、これらを噛み砕いて調理すること。これぞ浪速割烹の醍醐味だと思いますね。
――カウンターでのお食事の楽しみ方や、豊富なアラカルト料理を注文する際のコツなど、浪速割烹は初めてという方にオススメの方法があればお聞かせください。
お店にもよるところはあると思いますが、㐂川の場合だと、コースと一品料理(アラカルト)に分かれています。コースなら「浪速旬膳」、一品料理なら「浪速の逸品」というように、浪速割烹は初めてという方にも分かりやすいメニュー表記を心掛けるようにしているんです。心配な時は、その場で気軽に声を掛けていただければ安心だと思います。
コースと一品料理、どちらにするのかはシーンやその日の気分で決めてもらうのが一番良いと思います。接待や美味いもんをバランスよく!ならコースの「浪速旬膳」。自分の食べたいものをピンポイントで!なら「浪速の逸品」を選んでいただければ、失敗はないのではないでしょうか。
「どんな時代でも、料理人の仕事は変わらない」
―多くの飲食店が苦境に立たされていますが、今後の食文化の方向性やチャレンジしていきたいことについてお聞かせください。
「浪速割烹 喜川(㐂川)」としては、4月から5月にかけて休業を余儀なくされましたが、「全日本食学会」からのお誘いもあって、「医療従事者支援弁当」の取り組みに参加させていただきました。営業再開後は、消毒やソーシャルディスタンス、換気を徹底するよう心掛けています。
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のことで、人々の価値観が変わったということは確かでしょう。けれども、割合こそ減るかもしれないが、美味いもんを食べたいという方はいなくならないはずです。そのような状況の中で、我々料理人の仕事と言えば、そういうお客様の美味しいもんを食べたいという欲求に応えられるよう、本物を提供することに尽きると思うんですよね。
特に「浪速(大阪)料理」を追求することは、喜川(㐂川)一門ではごく自然であり、かつ必須でありますから、時代や世相が変わっても、浪速の食を次世代に伝えるべく常日頃から精進するのみだと考えているのです。
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上野 修 プロフィール
1961年、大阪生まれ。19歳の時に先代・上野修三氏のもとで「喜川(㐂川)」に入店。その後志摩観光ホテルにて、日本フランス料理界の巨匠総料理長・高橋忠之氏のもとで約5年間研鑽を重ねる。その後、大阪に帰郷。「浪速割烹 喜川(㐂川)」でのキャリアをスタートし、二代目店主となる。
修業で培ったフレンチの技法・エスプリも取り入れた「浪速割烹」は、大阪の料理界を牽引する存在に。後進の育成でも定評があり、多くの名料理人が法善寺横丁の「浪速割烹 喜川(㐂川)」から巣立っている。
『割烹 うまいもん』(柴田書店)『八十八種 魚を使いつくす』『常備菜の手帖』(柴田書店、共著)など著書多数。
お店の衛生対策について
・店内はできる限り換気させて頂いております。
アクセス
住所: 大阪府大阪市中央区道頓堀1-7-7
※こちらの記事は2021年08月16日更新時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。