京都御所のほど近く、風情漂う京町屋をリノベーションしたレストラン「リョウリヤ ステファン パンテル」。オーナーシェフのステファン・パンテル氏は、南フランスに生まれ数々の星付き店で腕を磨いてきた実力者。ご家族と来日後、京都を拠点に祇園「KEZAKO」のシェフを経て「リョウリヤ ステファン パンテル」をオープン。フランス料理の名店として支持を集めています。今回はシェフの料理や食材に対する思い、そしてスペシャリテを筆頭とするこの店ならではのメニューについてお話を伺いました。
目 次
父の店を手伝い、料理好きの家族に囲まれて食べることの楽しさを知る
-まずは、料理人の道を選ばれたきっかけについてお聞かせください。
もともと父がシェフで、フランス・プロヴァンス地方の実家では小さなお店を営んでいたんです。子供の頃から休みの日はお店を手伝ったり、母や祖母も料理が好きで二人が作る美味しい料理を毎日食べて育ちました。
また、当時から星付きのレストランなどにも連れて行ってもらっていました。特に13歳くらいのときに家族で行った、ミシェル・ブラス氏が営むレストランで食べた料理が今も記憶に残っていて。田舎にありながら三つ星も獲得した名店で、地元の食材を使った料理が評判でした。そこに住んでいる人が使っているようなごく普通の材料なのに、まったく別の世界観が広がっていて。シェフのメッセージが伝わってくるような料理に、とても感動しました。
私もまだ子供でしたから、そこですぐ料理人になりたい!と思ったわけではなく、美味しい料理を食べているだけで満足で。でも、今思えばその頃きっと私の心には「料理人になりたい!」と思う種が撒かれていて、それが成長するかたちで料理人の道を歩むに至ったのだと思います。
母国フランスで研鑽を積んだのち、日本で京都の魅力を体感
-国内外で研鑽を積まれておられますが、どのようなきっかけで日本に来られたのでしょうか。
パリのレストランで働いていたときに妻と出会いました。妻は日本人なのですが、たまたま同じお店でフランス料理を勉強していたんです。その後、1998年にフランスで結婚し子供も一人生まれ、パリで仕事を続けつつ、夏休みなどの長期休暇の際は日本を訪れていました。
今でこそ、フランス人のシェフも日本の食文化に詳しかったりしますが、当時はそうではありませんでした。フランス人に「お寿司を知っていますか?」と聞いても誰もわからなかったと思います。私も日本の料理はまったく知りませんでしたので「和食を作りたい」と思うことはありませんでした。
一方、結婚してからは妻が自宅で和食を作ってくれることがあり、食べる度に日本の文化や日本食への興味が湧いていきました。また、料理だけでなく妻の母国についてもっと深く知りたいという思いもあり、いつか日本に住んでみたいなと。妻は大阪出身で、日本に帰るならその近くがいいんじゃないかと話していたんです。その後、日本に住むことが決まり、関西エリアで仕事を探していたところ、友人の紹介で運良く京都にオープンするフランス料理屋さんが見つかりました。
日本に住むと言っても、最初は2~3年くらいのつもりでいて、ゆくゆくはフランスに帰ろうと考えていました。2001年に京都に住み始めたのですが、生活していくうちに不思議とフランスへ帰りたいという気持ちは薄れていき「ここに住み続けたい」と思うようになりました。
-住み慣れてきたとはいえ、やはり生まれ育った母国に帰りたいと思ってしまいそうなところですが、やはり京都に大きな魅力があったのでしょうか。
日本のなかでも京都って少しクローズな土地と言いますか、よそからは入って来にくい文化があると感じる方もいるかもしれません。ですが、どちらかと言うと私は「職人の心を持っている人が多い地域」だと捉えています。
私はもちろん「料理人になりたい」という気持ちがあって今に至りますが、もっと言うと「職人になりたい」という気持ちのほうが強い気がしています。例えば木材で何かを作ったり、陶芸をしたり、料理以外の道を進んでもいいと思っているんです。自分の仕事はすごく好きなので、辞めたい気持ちはありませんが、ものづくりが好きなんですよね。何かを作るときに、自分の気持ちやセンスを加えて、それを誰かに渡すというコミュニケーションを好んでいます。
物件との運命的な出会いを経て、自分の名を冠した店をオープン
-2012年に「Ryoriya Stephan Pantel」をオープン、独立に至るまでの流れや思いについてお聞かせください。
祇園の「KEZAKO」で働いていたころ、独立するなら別のエリアに移りたいという気持ちがありました。祇園は観光地で人も多いですから、もう少し静かな場所がいいかなと。
物件を探している時期、知り合いの不動産屋など色々な方に「良い物件が見つかったら声を掛けてください」と伝えていましたが、私のわがままもあってなかなかいい物件にめぐり会えず。ある日、不動産屋に立ち寄ったところ、やはり条件に合う物件はないと言われてしまって。帰ろうとしたら「もしかしてKEZAKOのシェフですか?」と聞かれたんです。実は担当者のお知り合いが「KEZAKO」の常連の方で、すごく良い印象を持ってくださっていて。そのご縁でご紹介いただいたのが今のお店です。
実は、当時この物件のことはすでに知っていたんです。近くに大通りがあるのですが、私はよくその道を通っていまして。遠目から「あの町屋の雰囲気、すごくいいな」と眺めていたので、ご紹介いただいたときは驚きました。
-「KEZAKO」のシェフという実績が、特別なご紹介に繋がったのですね!何だか運命のようなものを感じます。
本当に不思議なご縁と言いますか、人生ってこういうこともあるのだなと。もう即決でした。京都って町屋はたくさんあるのですが、基本的に細長い造りの建物が多いんです。でもここは幅もありますし、お庭は夜になるとライティングもできる。京都御所のすぐ近くという立地の良さも魅力だと思っています。
生まれ育った故郷の記憶、農家の人の思いや季節の移ろいを料理に込めたい
-和の食材を用いたフレンチが評判ですが、シェフが思うお店ならではの料理の特徴や魅力とはどのようなものでしょうか。
よく「和の食材にフォーカスしている」と言われますが、正直なところ私自身にその思いはないんです。確かにここは京都で和の食材がたくさんありますから、料理にそういった食材を使うことも多いかもしれません。しかし、普段料理をするうえで「これは和の食材だ」とか「これは和の技法だ」とか、フレンチやイタリアンなども含め、何かのジャンルに当てはめることはないですね。
一方で、私の料理を食べてくださった方がどんな感想を持つかということも自由です。「和の食材にフォーカスしているお店なんだな」と思っていただいても、間違いというわけではありません。感じ方は人それぞれ違いますからね。
私が大切にしていることは、作ってみて美味しいかどうか。食材のアイデンティティについてしっかり考えたうえで、遊び心を入れていく。故郷の南フランスで食べていた料理や周りにあった食材、そういったものを自分のストーリーとして料理に入れていきたいです。先に考えてあれもこれもと入れるのではなく、自然に入っていくイメージですね。
今の時代は和の食材にフォーカスしたお店が増えてきていて、すごく良いことだと思っています。反対にそういった食材を使いたくないというお店があってもいい。料理に間違いはありませんから、作る人によってどんなものになってもいいわけです。
-京野菜をはじめ土地の食材を積極的に使われ、ご自身で直接お野菜を収穫されることもあると拝見しました。農家さんとのコミュニケーションなど、仕入れについてお聞かせください。
京都に来て最初のうちは、シェフの下で働かせていただいていて。その後自分がシェフとして「KEZAKO」で舵を取るようになってからは、京都・大原の朝市に行くようになり、そこから農家さんとの交流が始まりました。
先ほどお話ししたように、私は料理など自分で手を加えたものを誰かに渡す、そうやって繋がることを大切にしています。もっと言うと、料理ができる前の食材を作る人の気持ちも大切にしたい。「良い気持ちを持っている人」と仕事がしたいんです。そういう心がなければ、良いものも生まれないんじゃないかなと。
自分で畑に足を運ぶのは、農家さんとのコミュニケーションの一環もありますが、私自身が畑の空気を感じたいからというのも大きな理由です。例えば今の時期なら、朝の畑は寒いですから、蕪や大根、牛蒡などの野菜で温かいスープを作って食べたいなとか。食材が美味しいことはもちろんですが、作った人の頑張り、季節の香り、鳥や虫の鳴き声など、自分自身が実際に感じたことを料理に入れていきたいと思っています。
-お店のスペシャリテ「フォアグラのコンフィ 奈良漬け巻き 南国フルーツソース」。このメニューが生まれたきっかけや、その後のエピソードについてお聞かせください。
今は私もこの料理をスペシャリテだと思っていますが、実は自分で言い始めたわけではないんです。日本に来たばかりの頃、京都で有名な「田中長奈良漬店」の奈良漬けセットをいただき、人生で初めて奈良漬けというものを食べまして。ひと口食べた瞬間「これ、フォアグラに合うんじゃないかな」と思ったんです。奥さんにどうだろうかと聞いてみましたが、あまり良い反応ではなく(笑)。当時はまだそういった食材の組み合わせは珍しいとされる時代でしたから、無理もありません。
それから5年ほど経って「KEZAKO」をオープン。1か月もしないうちにクリスマスの時期になりましたが、バタバタしていたこともあってクリスマスメニューの準備ができていなかったんです。フランスではお祝いごとにフォアグラ料理を出す文化があるので、フォアグラで何か作れないかと考えました。そこで思い出したのが、奈良漬けを食べたときのこと。奥さんに止められつつも、よしやってみようと「田中長奈良漬店」へ行って奈良漬けを全種類買いました。
お店で試作品を作ってみて「これは絶対に美味しい」と確信し、奥さんにも食べてもらったところ「確かに美味しい!」と言ってもらえて。様々な種類から大根の奈良漬けを使うことに決め、試作を繰り返してやっとクリスマスメニューが完成。お店で出してみると、お客様にもすごく喜んでもらえました。
クリスマスが終わったばかりのある日、料理関係のジャーナリストの方がお店に来てくださいました。個性のある料理を出してみようかと思い、コースとは別に奈良漬け巻きを作ったんです。その方は「悪くないなぁ」くらいの雰囲気で帰られたのですが、別の日にいらした他のお客様から「フォアグラと奈良漬けの料理があると聞いてきたのですが、今日は出ないんですか?」と言われまして。先のジャーナリストの方から評判を聞いてきたそうなんです。
そういうことが2~3回続きましたが、あいにく材料を切らしていて提供をお断りすることもあって。遠方からのお客さんもいたので、サイドメニューとしていつでもお出しできるようにしました。その後も常連の方が食べているのを見て、別の常連さんが食べたいと言ってくださったり、だんだんと広まっていった感じです。
-まさに、お客さんの思いによって生まれたスペシャリテということですね。
うちのお店は毎月来てくださる方も多いのですが、あるとき「奈良漬け巻きを食べると、実家に帰ったときのような安心感がある」と言われて、なるほどと思いました。この料理を食べると「あぁ、今日もお店に来たんだな」と感じる。お客様に喜んでもらえていれば、私としては看板料理とかスペシャリテとか、どんな言葉でもいいと思っています。
今後の展望について
-これからも続けていきたいこと、今後挑戦していきたいことがあればお聞かせください。
この質問が一番難しいですね(笑)。私はあまり目標を掲げるタイプではないんです。一度やりたいと思ったことをとことんやり尽くすタイプではあるものの、有名になりたいとも思わないですし、商売っ気もない。お店に来たお客さんに喜んでもらえれば、あとはもう何もいりません。
ただひとつ言えるのは、これまでたくさんの方に様々な面で応援していただけて今があります。皆さん、自分に利益があるかなど関係なく純粋に私を応援してくださるんですよね。そういう人たちに囲まれているからこそ、これからも日々頑張り続けていきたいと思っています。
公式HP:http://stephanpantel.com/
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ステファン・パンテル氏 プロフィール
1972年7月25日 フランス サナリー・シュル・メール生まれ
職歴:
1992~1995年 ニース「ル シャンテクレール ホテル ネグレスコ」
1996年 パリ「ル・グラン・ヴェフール」
1997~1999年 パリ「ジェラール・フォシェ」
1999年 パリ「ル・ルレ・ドートゥイユ」
2000年 パリ「ジャック・カーニャ」
2001年~2004年 京都「フィリップ・オブロン 祇園」
2004年~2006年 京都「クーラン・デルブ」
2006年~2014年 京都「ケザコ」
2014年~ 京都「リョウリヤ ステファン パンテル」
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【編集後期】
終始穏やかな口調で、時折冗談を交えながら進んだインタビュー。お店の料理や食材に込める思いについての話では、丁寧に言葉を選びつつも力強くご自身のお気持ちを語ってくださいました。ご紹介した「フォアグラのコンフィ 奈良漬け巻き 南国フルーツソース」はもちろん、シェフのストーリーが詰め込まれた一皿を味わいに、足を運んでみてはいかがでしょうか。
※こちらの記事は2024年12月16日作成時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。