大阪「本湖月」穴見秀生氏に聞く、日本料理の未来と食文化の継承

幅広いグルメが集まる美食の街・大阪を代表する、日本料理の名店「本湖月」。亭主の穴見秀夫氏は、この道50年以上になる日本料理界の重鎮。今回は、フードコラムニストの門上武司氏を迎え、穴見氏が感じた日本料理の奥深さから、食文化の継承に至るまで、幅広いお話を伺いました。

日本料理の素晴らしさ

―穴見さんは、かねがね日本料理と和食は違うものとおっしゃっておられます。どういうことなのか、始めにそこから伺いたいと思います。

日本の国を代表する料理の名称として、いまは日本料理と和食がその区別も検証もあいまいなままに使われていますが、僕はそのふたつはまったく別のものと認識しているんです。僕のなかでは、日本料理というのは気候風土や歴史を踏まえて作り・いただくハレの食なんです。ですから、空間や設いなどに非日常性を演出するための様式も必要とされる。対して、和食は日常的な食全般をカバーするから自由度が高い。寿司、天ぷら、そば、やきとりなどと和食の裾野はどんどん広がるばかりですよ。日本料理と和食は優劣の違いではなく大雑把に言って味わいかたの違いとでも思っておいてください。

―キーワードはハレの食ですね。穴見さんを前にしますといつも緊張してしまい、それがまた特別な食体験に誘ってくれるのですが、日本料理の素晴らしさはどんなところにあると思われますか。

僕は技術や方法につい目がいってしまう技術系の料理人ですが、日本料理の素晴らしさは、基礎となる部分に日本人の技術力や感性が生きていることですね。僕は中卒で大阪の親戚が営むふぐ料理店に雇われ、料理の修業を始めました。それから5年ほど経ってフランスでJALの機内食を作る仕事に就き、渡仏しましたら、僕が包丁を使って魚を捌いたりするのを見て現地の料理人たちが驚くんです。

1970年代当時のフランスでは和食の料理がほとんど知られていませんし、魚を丁寧におろしてから調理するなんて考えられなかったようで、どうしてそんな繊細な仕事ができるんだと不思議がられました。だって、そういう技はいわゆる和食の料理人には必要な基本技術なわけで、自分は修業の身でこき使われながら覚えていったものなんです。先輩にはもう少しきれいに捌けとか、うるさく言われてね。同時に、技だけでなく日々の食材にどう向き合えばいいか感覚とか心持ちまで鍛えられていって、そうして伝承されているのが日本で食される料理なんだと改めてその素晴らしさに気付いたのです。でも、その時点では僕はまだいわゆる和食しか知らないということも気付いたんです。「日本に帰って修業のし直しだ」と思いました。
―ひとたび覚醒すれば、それまでとは取り組む姿勢も違ってくるでしょう。フランスから帰国して以降が穴見さんにとっての本格的な日本料理の修業になっていくわけですね。

料理人の学ぶべきこと

修業先を選ぶなら大阪で一番の日本料理店と決めて「吉兆」の門を叩きました。とにかく必死でお願いし、なんとか入れてもらったのです。当然下っ端からの仕事です。僕はフランスですでに意欲だけは溜めていましたから、自分自身が乾いたスポンジみたいになっていまして修業できることに飢えていたんですね。そして、修業仲間の誰よりも吸収しようとなんでも積極的にやらせてもらいました。見たこと、覚えなければならないことは全て筆記しておいたり、必要ならカメラで写真に撮ったりもしていました。これはいまなら言える話ですが、料理長の献立表に残されたレシピを書き写すためにあえて早番を申し出て、それより早い時間に調理場に入り続けたこともあります。

―高みを目指すなら何をすべきか、修業も意欲だけではないところが技術系とおっしゃる穴見さんならではですね。

ところが、実際に修業するなかで、段々と「吉兆」は次元がちがうのだとわかってきます。世の中にこんな料理があるのか、こんな部屋があるのか、こんな設いをするのかと目からウロコが落ちるばかりなのですが、その上で器も用途によって作者や形などの異なる種類を使い分けているのを知り、驚くというよりも日本料理の奥深さを実感させられました。こういう世界で自分はどうすればよいのだろうと悩んでいたら、店主の湯木貞一さんに「お茶を習いに行きなさい」と言われました。料理人は、休みの日には1か月に一度でもいいからお茶の稽古に行って、器をはじめ茶道具や茶室の室礼について身をもって学んでおきなさいということなんです。

―茶懐石にならう「吉兆」の料理人さんには茶道は必修ですね。室礼には生け花の素養も求められますから、茶道とあわせて華道を習う料理人さんもおられます。穴見さんは器に関しては知見をどのように広められたのですか。

お茶の稽古へ通うようになりますと、沿道の茶道具専門店に必ず立ち寄っていました。様々な器を見せてもらい、こちらから質問したり、店に通ううちに僕が「吉兆」で修業しているのがわかると親切にしてもらいました。そうしてつながった関係にはこれまでいろんな局面で助けていただいています。非日常の世界でお客様をおもてなしするなら、やはりそれなりのものを準備しておきたいじゃないですか、料理以外にそういうことも考えていかねばなりません。

日本料理の味わいかた

―非日常に味わうハレの食には、会食も含まれますね。家族の内輪の記念で集まるとか、お祝いに大勢で集まるとか多様なニーズに応じた会食空間を用意できる日本料理店として料亭があります。大阪には大きな料亭がいくつもありましたが、いまやかつてのように会食することが数少なくなり、ほとんどの料亭が消えてしまっています。そうした需要の変化というか、時代の流れを穴見さんはそのように受け止めておられますか。

先ほど和食は自由度が高いといいましたが、寿司にしても天ぷらにしてもラーメンにしてもいまや世界に通じるグローバルな食にさえなっていますよね。一つひとつエトセトラなんですが、日本料理も半分以上がもう和食の範疇に入ってしまっています。ですから、お茶の世界のようにお客様をお迎えするという心ある日本料理店はもはや数少ないと思われます。お茶のエッセンスを入れるということは、日本独自の歳時記や年中行事にあわせて料理を味わっていただくという日本の食文化の表現なんですけどね。

―そういう食の意味とか、季節や月ごとでもどういうふうに変えているのかわかっていただけているお客さん、だんだん少なくなってますよね。

いまね、そうした理解のない無反応なケースが多くて、店でお客様をお迎えしてもストレスが溜まる一方なんです。先日も、猛暑でしたからしょうがないのかもしれませんが、うちの店に半ズボン姿で来られた方がいまして。料理をめしあがってもらい、代金もいただいているのにこんなこと申し上げるのは非礼とは思うのですがあえてこう伝えました。「申し訳ございませんが、当店は海の家ではありません。次回からは半ズボンというのはご遠慮願います」と。

うちは若い者にはきちんとした姿にさせていますし、若い仲居にも着物を着させています。そうしてお客様をお迎えする気持ちがありますので、お客様もこちらの気持ちを少しは汲んでくださいと申し上げたのです。亭主の僕が言わなくて誰が言うのか。若いひとにきちんとしたメッセージを届けたいという一心でしたね。代金を払えばいいでしょうっていう考えはちょっと違うんではないかと。お食事されるとき、享受のしかたにもいろいろなチャンネルをもっておられたほうが人生楽しくなりますよって言いたいですね。

文化を受け渡してゆく

―いまは、お客さんの食べる意識というか飲食空間での食べ手の姿勢とか態度が問われるケースが増えていまして、お客さんを迎える側の飲食店がどのような対応をすればいいか課題になっています。

とは言え、昔と違い食に関する情報が多すぎます。例えば、卵かけ御飯が話題になる、話題になるのならお客様にも喜んでもらえるから料理屋で提供するのかと言えば僕は疑問なんですね。料理屋なら、やはり炊きたての御飯と素敵な季節のおかずを作って供したい。今はなぜか一種類の料理にいくつものバリエーションを作りこんでいく傾向があるけれど、ということは作って提供する側もそれらを食して消費する側もレベルが落ちていくのではないかと思われる。お互いにレベルアップしてもっと素敵な食文化を目指したいですよね。

―自国の文化に自信がもてないでふにゃふにゃしていたら、国の力がなくなってしまいます。

創作料理と掲げるなら、なんでもありでかまいません。しかし、日本料理を看板にしているのに、フカヒレやキャビアを使ったり、中華やフレンチやイタリアンのエッセンスを入れたりって、それでどうするつもりなのか。それよりも、日本料理としての文化を届ける仕事があるではないか。例えば、ズイキとかゼンマイとかスーパーではお目にかかれずに普段は口にもできない日本ならではの食材を美味しく調理して届けるだけでも意義があると思うのです。

―料亭みたいにお座敷空間のないカウンターでも演出はできますよね、そうなると季節感の表現とか勉強も必要になるはず。穴見さんが説明された和食と日本料理の異なる世界観を明快にして、作る側も食べる側も日本の食文化を次の世代へと受け渡してゆくことが大事なんですね。

お客様とのキャッチボールができたら最高でしょう、こちらからお客様の受けやすいど真ん中にストライクを投げて、お客様がそれをしっかり受ける。そうして料理人とお客様がにっこり笑い合えば、素敵な一日だったなと思える。

まあ、そういう日はなかなかない。ただ、私は今年で75歳です。この仕事をあと何年続けられるかわかりませんし、本当に幕引きが目の前に近づいてきていますので、一年一年、一日一日、お客様をお迎えし少しでも素敵な日本の食文化を届けるという自分の役割をまっとうしたいと願っています。

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プロフィール
穴見秀生氏

1949年 福岡県生まれ
1965年4月~1969年12月 大阪の日本料理店「魚利」で修業
1970年5月~1974年11月 渡仏、パリの日本料理店「美紀」に就職
1975年5月~1980年10月 帰国後「吉兆」に入店
1981年2月~1994年9月 法善寺横丁「湖月」料理長になる
1994年10月 「湖月」を買い取り、営業開始
1995年5月 新装開店、屋号を「本湖月」とする
2002年9月 中座の火災で法善寺横丁が被災
2003年7月 再建、再開
2010年 「ミシュランガイド京都大阪」で二つ星を獲得。
2012年11月 第3回農林水産省料理人顕彰制度「料理マスターズ」ブロンズ賞 受賞
2014年6月 辻 静雄 食文化賞 専門技術賞 受賞
2017年11月 第8回農林水産省料理人顕彰制度「料理マスターズ」シルバー賞 受賞
2019年1月 THE TABELOG AWARD CHEF’S CHOICE賞 受賞
2013年から始まった「料理マスターズ」による6次産業化支援プロジェクト「料理マスターズブランド認定コンテスト 関西大会」に審査員として参加
2017年~2019年 「料理マスターズ(RMB)認定コンテスト」審査委員長として参加
2022年11月 第13回農林水産省料理人顕彰制度「料理マスターズ」ゴールド賞 受賞
2022年11月 厚生労働省 卓越した技術者の表彰(卓越技能賞) 受賞
2024年4月 黄綬褒章受賞
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【編集後記】
「本湖月」の主人・穴見秀生さんは卓越した料理人であるが、その領域をはるかに超え、日本文化の継承者という存在と言える。料理は食材を揃え、それを調理するだけではない。その料理をいかなる器に盛るかで、印象は大きく変わる。器だけではない。花を生ける花器も必要となり、お軸の有無でその部屋を醸す雰囲気は変わってくる。それも季節によってこまめに変えなければならない。そういった料理を取り巻く環境を全て、季節やお客さんの要望によって設える知識と教養を兼ね備えていることを、日本料理店の主人の責任と考え、それを実践する数少ない料理人なのである。

https://kb6h500.gorp.jp

※こちらの記事は2024年11月08日作成時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。

門上 武司

1952年10月3日大阪生まれ。フードコラムニスト。
株式会社ジオード代表取締役。
関西の食雑誌『あまから手帖』の編集顧問を務めるかたわら、食関係の執筆、編集業務を中心に、プロデューサーとして活動。「関西の食ならこの男に聞け」と評判高く、テレビ、雑誌、新聞等のメディアにて発言も多い。一般社団法人 全日本・食学会 副理事長。2002 年日本ソムリエ協会より名誉ソムリエの称号を授与。
著書に、『門上武司の僕を呼ぶ料理店』(クリエテ関西)のほか、『スローフードな宿』『スローフードな宿2』(木楽舎)、『京料理、おあがりやす』(廣済堂出版)等。2023年11月29日発売の「あまから手帖別冊 食べる仕事 門上武司」(クリエテ関西)はこれまでの門上武司の食の歴史と、これからの「食」を考える刺激的な一冊。

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