昔ながらの街並みが残る、愛知県・橦木町にある「橦木町 しみず」。2022年に開業するやいなや、全国から美食家たちが訪れる予約困難な日本料理店となりました。日本文化に深い造詣を持つ店主・清水陽介氏。氏が織りなす料理は、日本の粋を感じるここでしか味わえない逸品揃いです。今回のインタビューでは、料理に関するこだわりや心構え、調理法など様々な観点からお伺いしました。
日本料理において大切な心構え、そして日本文化を学んだ修業時代
―料理の道、中でも日本料理の道に進まれたきっかけについてお聞かせいただけますか?
祖母が料理好きだったこともあり、幼い頃から料理は身近なものでした。小学生の頃に「将来は料理人になりたい」という夢を抱き始め、卒業アルバムにも「将来は京都で修業する」みたいなことを書いていました。僕は1度決めると頑固なので、ひたすらそれに向けて突き進んでいった感じです。高校生の時には、イタリアンのお店でアルバイトを始めたんですが、全然美味しく作れなかったんですよね(笑)。代わりに何のジャンルに進むか迷いましたが「日本人として生まれたなら、日本ならではのことをやりたい」と思い、日本料理の道に進むことにしました。
―調理師学校をご卒業後は、大阪の「本湖月」さんで11年間修業されていらっしゃったと伺いました。修業時代、特に印象的だったことや今に活かされていることについて教えてください。
実は日本には、毎月節句以外にも色々な行事があるんです。まずは料理を通して、そういった日本文化をいかに料理に組み込んでいくかということを実践で学びました。休日は、おやっさんから紹介してもらった先生にお茶を習ったり、能舞台に連れて行ってもらったりしました。器についての知識もですが、様々なことを教えていただきました。ただ料理を作るだけなら誰でもできますが、日本料理人としての教養、料理人としてどうあるべきか、という大切なことを学ばせていただきました。本当に全てにおいて影響を受けましたね。
―11年間と聞くと非常に長い時間に感じますが、仕事の日も休みの日もお店の方々と一緒という環境だったんですね。
そうですね。休日はみんなで色々なお店へ食べに行っていましたし、先輩、後輩問わずスタッフに恵まれていました。それに先輩方が独立して成功していく姿を間近で見られたことも大きかったと思います。
11年というと長く聞こえますが、覚えることがとても多いので、それでも足りないくらいでしたね。「本湖月」は料理のメニューが月ごとにがらりと変わるんです。1度作っても、次に作るのは1年後ですからね。次の時にはどうやっていたか忘れています(笑)。日本料理は年数をこなさないと身につかないと言われますが、やはりそういう理由もあると思います。
―何年学んでも学びきることができない、奥の深い世界ですね。
―その後は岐阜県にある「たか田八祥」さんで過ごされ、2022年に「橦木町 しみず」を名古屋で開業されています。どのような経緯だったのでしょうか?
僕は出身が岐阜県・郡上なんですけど、自分のお店を出すなら名古屋と初めから決めていました。地元から1番近い都市というのもありますし、何より名古屋だったら地元である岐阜県の食材も使えるし、海の食材も手に入ります。日本料理は、海のものを使わないと構成できないのですが、岐阜県には海がないですからね。「たか田八祥」さんにいる間に、岐阜県の食材について学ばせていただいた後、元々独立することを決めていましたので、2022年1月に名古屋・撞木町にて「橦木町 しみず」を開業しました。
日本料理の王道を行きながらも、清水氏ならではの感性が光る料理
―満を持して開業されたお店ということで、お店造りにもこだわりをお持ちかと思います。建築家・木島徹氏が手掛ける空間についてのこだわりをお聞かせいただけますか?
空間づくりに関しては、知り合いのお店を見て回ったりしてどんな雰囲気が自分達のお店にフィットするかを女将と一緒に検討しました。木島先生の造る空間は、緊張感もあるんですけど、ちょっと時間が経つとリラックスできる空間なんです。その雰囲気がとても素敵だなと思い、木島先生にお願いすることにしました。
―清水様ならではの料理に関して、その特徴をお聞かせください。
今まで学んだことを全て詰め込んだ、王道かつ、筋の通った日本料理を作っています。その中でこのエリアでしか食べられない、この時期でしか食べられないものを出そうと心掛けています。それと、ちょっとした遊び心というか、面白味のある料理をコースの中に1、2個くらい入れるようにしています。
―例えば最近ですと、どんな料理を出していらっしゃいますか?
今月は、八幡巻きを焼いているんですけど、北海道産のホワイトアスパラガスを軸に、穴子を八幡巻きみたいに巻いていくんです。それをタレとかではなく、山葵の酢醤油で食べます。創作料理までは絶対にいかないようにしつつ、アプローチを変えています。日本料理の枠の中ではありますが、今まで他のお店ではやったことがないようなことをしてみたいなと。「橦木町 しみず」には様々なお客様がお見えになっています。皆さま、本当に色々なお店に行かれていらっしゃるんですよね。「またここも一緒か」と思われるのは嫌なので、ここでしか食べられないものをお出ししたいですね。
定番のメニューを突き詰めるということも大事だと思うんですけど、それはもう少し年を取ってからでいいかなと思っています。「本湖月」のおやっさんも「若いうちにしかできない料理がある。この年になったら、日本文化を伝えていかないといけないから、王道のしっかりとした日本料理を作らないといけない。お前らは若いから色々なことに挑戦できる。今しかできない料理をしなさい」と仰っていたのを覚えています。
―清水様は、今しかできない挑戦をしていらっしゃるんですね。
―ここでしか味わえない料理を提供したいということでしたが、食材は清水様の故郷である岐阜県のものにこだわっていらっしゃるのでしょうか?
決して、岐阜県の食材を使うことにこだわっているわけではないんです。「お客様に1番美味しいものを食べてもらいたい」。そう思っていたら自然と岐阜県の食材になりました。例えば鮎だったら「和良鮎」。岐阜県の郡上に流れる和良川で獲れる鮎なんですけど、僕はそこの鮎が1番美味しいと思っています。そのため「和良鮎」を毎年使っていますね。市場とかだと、自分のところに1番良い食材が回ってくるとは限りません。やはり信頼関係のある業者さんや、山の人だと良い食材を回してくれるので、そういったこともあり、必然と岐阜県の食材になっていきます。
―良いものを突き詰めていったら、清水様にとっての1番は岐阜県の食材だったということなんですね。
そうですね。もちろん地元である岐阜県・郡上の食材を食べてもらいたいという気持ちもありますけどね。
―料理の特徴の1つとして、四季の移ろいを視覚で表現すると伺いました。例えばどのようにして、一皿の中で四季を表現されていらっしゃるのでしょうか?
先ほどもお話いたしましたが、日本には、月ごとに節句以外にも様々な行事があります。1月はお正月、2月は節分、3月は桃の節句、4月は花見、そして5月は端午の節句ですね。例えば2月の節分。節分と言えば恵方巻です。今年は蕎麦寿司を恵方巻に見立てて、お出ししていました。蕎麦寿司の中に、炒った豆を薄皮まで全部剝いて、砕いたものをアクセントに入れてみたんです。1つの料理を通して、節分の恵方巻と豆まきを同時に楽しんでもらいたいという思いを込めています。
―季節によって様々な料理を提供されていらっしゃると思いますが、これだけは味わって欲しい定番の料理はございますか?
鮎ですね。夏の期間限定になりますが、鮎の食べ比べが非常に好評です。まずは「和良鮎」、それと、もう1種はその時その時で1番美味しい鮎が連れる川が変わるんですけど。その中でも1番良い川から釣ってきてくださる鮎を使っています。「和良鮎」と、その2種類を食べ比べるのが人気ですね。
―口コミなどを拝見し、〆 の土鍋ご飯「いのちの壱」もすごく満足度が高そうに思われました。
あれも定番ですね。白いご飯には岐阜県・高山のお米を使いたいなと思い、何軒か農家さんを回って全部お米を炊いて比べてみたんです。その中で僕が1番美味しいと思ったのが「いのちの壱」です。粒が大きくて「コシヒカリ」よりも1.5倍くらいの大きさがあります。その他にも炊き込みご飯の時は「コシヒカリ」、煮えばなの時は「ゆきまんま」という種類を使うなど、料理内容によって変えています。
―器に精通されていらっしゃる「本湖月」の穴見秀生様の元で修業されていた清水様も器へはかなりのこだわりがおありかと存じます。
お茶をやっていたこともあり、「千家十職」が作る楽焼と永楽焼がどちらも好きなんです。自分のお店を出したら使っていきたいなと思っていたので、少しずつ集めているところです。年中使える器もありますけども、ひと月しか使えない器ばかりですね。でもやっぱりそういうのが粋といいますか、日本料理の良いところだなって思います。
次世代に日本文化の素晴らしさとその心を伝えていきたい
―最後に、現在挑戦されていることや今後取り組んでみたいことについてお聞かせいただけますか?
スタッフが2人入ってくれまして、そのおかげで提供できる料理の幅が広がってきました。今までだと「あれもやりたい、これもやりたい。だけど1人で全部仕込むのはちょっと無理だな」というのがすごくあったんです。お客様からも「スタッフが増えてから、料理がどんどん良くなっている」と言っていただけるようになり、これからも少しずつチャレンジしていきたいですね。
スタッフを育てていきたいという気持ちもあります。料理は、学べば誰でもできますが、それ以外の人間性の育成も大切です。日本文化全体を学び、礼儀や心を磨いてほしいですね。お客様に対するおもてなしの心というのを若い子にも伝えていきたいと思っています。僕自身が教えていただいたように、日本文化の素晴らしさを次の世代にもきちんと継承していきたいですね。
―現代は働き方改革などもありますし、限られた時間の中で料理だけでなく、日本の文化まで教えていくというのは、非常に難しいチャレンジのように聞こえます。
本当にそうだと思います。でも日本ってこれだけ素晴らしいんだって思ってもらえるようなことをしていきたいと思っております。
全てがお客様に直結しますので。せっかく何か月も前から予約して来てくださるお客様に対して、サービスが不十分な状態ですとご迷惑をおかけしてしまいます。スタッフ全員のレベルが上がることで、2、3時間という限られた食事の時間ではありますが、少しでも良い空間で楽しんでもらえたらなと思っています。
―今も本当に素晴らしいお店だと思うのですが、さらに進化し続ける「橦木町 しみず」を皆さん楽しみにされていらっしゃると思います。
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清水陽介氏 プロフィール
岐阜県・郡上八幡生まれ。大阪にある日本料理の名店「本湖月」で11年、その後、岐阜県の「たか田八祥」で6年間研鑽を積む。2022年1月、名古屋・橦木町に「橦木町 しみず」を開業。故郷・岐阜県の旬の味を中心に、日本文化を重んじる日本料理を提供する。
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公式Instagram:https://www.instagram.com/syumokuchou.shimizu/
【編集後記】
調理技術を磨くだけでなく、日本文化全体を学ぶことで“本当の日本料理”を体現されている清水様。非常に深く日本文化を理解されているからこそ、料理にもその思いが滲み出ているように感じました。さらに次世代への文化の継承に努めていらっしゃる清水様の作る料理は、益々磨きが掛かっていくのだろうと思います。進化を続ける「橦木町しみず」から目が離せません。
※こちらの記事は2024年07月11日作成時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。