京都駅から徒歩約5分のところにある「燕/en」。2013年にオープンして以来、地元の人から愛され続けています。2020年にはミシュラン・ビブグルマンにも選出。店主の田中嘉人氏は老舗「京都和久傳」にて修業後、ニューヨークで一世を風靡した「kajitsu(嘉日)」で副料理長を務めた実力派です。料理人としてお客様に恩返しがしたいと語る田中氏。今回はそんな田中氏が大切にしてきた日本料理への姿勢や、これまでの歩みについて幅広くお伺いしました。
目 次
初めてのアルバイト先で見つけた、将来の仕事
―田中さんのご経歴についてですが、16歳で料理人としてのキャリアをスタート。アルバイトとして「和久傳」で働き始めたと聞いて驚きました。高校生で「和久傳」で働こうと思う人は少ない気がします。
僕もびっくりしました。というのも、僕は最初から料理の道に進もうと思って「和久傳」に入ったわけではないんですよ。
うちの家業が代々蒔絵師でして、父は茶道・裏千家の先生でもありました。その関係で「和久傳」の方々には大変お世話になっていたようです。当時高校生の僕がアルバイトをしたいと父に相談したところ、数日後に父から「決まったぞ」と。高校生のアルバイトっていうと、コンビニとかファミレスをイメージするじゃないですか。でも行ってみたら「和久傳」だった。
最初こそ驚いたものの、直ぐに料理人の姿や美味しい料理の数々に魅せられました。先輩方からかわいがってもらって「これ食べてみ~」って色々試食させてもらいました。そのどれもがめちゃくちゃ美味しくて。
当時料理長を務めていた緒方俊郎さんの存在も大きかったです。「和久傳」の料理っていつ見てもセンスがいいんですよ。器の取り合わせや、盛り付け、味、どれもがシンプルながら印象深い。それが凄くセンセーショナルで、料理人の姿に強い憧れを抱いたんです。
在学中の3年間はアルバイトとしてお世話になりました。高校卒業間近、改めて進路を考えるとき父と色々話して、やっぱり私が将来ずっとやりたい仕事は料理人だと実感して「和久傳」に入社しました。
京都「和久傳」で培った健全な精神と料理への向き合い方
―ただ料理を食べて美味しいで終わるのではなく、「和久傳」で人の働く姿に惹かれたのですね。こうした気付きは当時高校生という多感な時期には、とても特別な体験だったと思います。
そうですね。料理人としての基本的な部分、それこそ料理に対する姿勢というところは「和久傳」で鍛えてもらったと思います。
「和久傳」に就職するとなれば生活環境が180度変わります。当時の僕にとっては相当な覚悟を持って入りましたね。直ぐに寮生活が始まり、朝晩と料理漬けの日々。他の店で経験を積んだ人たちと肩を並べて働くというのはタフながらも、刺激的な毎日でした。
飲食業界に限らず、仕事となるとどうしても様々な思惑が渦巻いてしまうと思うんです。そんな中、僕は「和久傳」から素直に料理とお客様に向き合う健全な精神を教えてもらいました。この基本を大切にする心はずっと持ち続けていたいと思います。
ニューヨークの伝説的な和食店「kajitsu(嘉日)」で日本料理を世界に発信
―「和久傳」でご経験を積まれた後、2004年には「kajitsu」の副料理長として選出されニューヨークへ渡米されています。「kajitsu」と言えば“ニューヨークで本物の日本料理を”テーマにオープン。数々の素晴らしい功績を残しながら、近年惜しまれつつ閉店した名店です。
「麩嘉(ふうか)」の7代目店主・小堀周一郎さんによって開店した「kajitsu」は“どんなに成功しても10年”というコンセプトがありました。その言葉通り2022年に閉店。
私はお店がオープンする前からプロジェクトに携わっていたのですが、錚々たるメンバーが集まっていました。初代料理長は京都「吉兆」出身の西原理人さん。今まで私が知らなかった新しい技術を沢山吸収させていただきました。「和久傳」とは全く違う食へのアプローチ方法にしびれましたね。
―当時のニューヨークはどのような場所だったのでしょうか?
店がオープンした2009年のニューヨークは和食ブームがいったん落ち着いた時代でした。表面的な日本人趣味が研がれ、本物志向の人が増えた時代と言ってもいいかもしれません。
「kajitsu」は精進料理を専門とした日本でも特殊なジャンルではありましたが、海外で言うところのヴィーガン料理なんです。お客様に受け入れていただくまで、そんなに時間はかからなかったですね。
プロジェクトには「塩芳軒」や「一保堂」など、老舗和菓子屋や茶屋からのサポートをいただきました。そのお力添えもあって「kajitsu」は素晴らしいクオリティのものをお客様に提供し続けられたと感じます。ニューヨークは大変シビアですが、その反面、受け入れられると何とも言えない達成感がありました。4年間とは思えない濃密な経験をさせてもらいましたね。
日本料理の型を解きほぐしたアラカルト割烹の店「燕/en」
―渡米されて、ご自身の料理に対する考え方に変化はありましたか?
特に自分の中で変化を感じたのが、食材の扱いですね。ニューヨークは様々な国の人がいましたから、食材も世界中から集めた見たことないようなものが沢山。その中で、もっと美味しくするために工夫をします。
一方、懐石料理の場合は基本的な型というものがあります。その範囲内で料理人は、アレンジして店の特色を出したアプローチをすることが多いです。でも、一度型から外れれば、同じ食材を目の前にしても違った調理法やアプローチが思いつくようになる。この“決まりきったものがない”というのは、アラカルトでお出しする割烹料理の面白さを見出すきっかけにもなりました。
―食材に関わらず、自由度の高さという視点では、現在の「燕/en」に繋がるお話です。カウンターメインの「燕/en」では、懐石料理以上にお客様と話す機会は増えていくと思います。
「燕/en」は毎日メニューが違いますし、会話を通してお客様の好みや体調を理解し料理にアレンジを加えたりするので自由度は相当高いですね。ただ、自由度が高いからといって自己満足で終わらないように、という気持ちは常にあります。お客様に喜んでもらってなんぼだと思っていますから。
日本食材のポテンシャルを活かした割烹料理と店の定番「鯖寿司」
―「燕/en」の料理はどれも素朴で親しみやすい印象があります。どのようなところに素材へのこだわりを持っていらっしゃいますか。
うちはあまり農家さんと沢山繋がりを持っているわけではありませんが、熱心にやっていらっしゃる方とはピンポイントで連絡をさせていただいています。高品質でお値段も高い素材だけを使う、という話ではなく「燕/en」に来店されるお客様が喜んでくれるよう、料理と価格帯を維持することを一番に考えていますね。
日本の素材が持つポテンシャルの高さは、海外に行って改めて気がついた部分。魚ひとつ、野菜ひとつとっても食材が持っている力が強いので、僕はそこを信じて香りがいいものは、それを活かすことを考えます。それが料理人の仕事なんじゃないかと思います。
―「燕/en」と言えば鯖寿司が人気で、多くのお客様が注文されます。美味しさの秘密はどこにあるのでしょうか?
いい鯖を仕入れて、美味しいシャリを炊いて、美味しいタイミングで召し上がっていただく。それだけですよ(笑)。
京都で鯖寿司って結構定番のメニューではあるんですが、お店によって出来上がりは十人十色。海苔や昆布で巻くところもあります。それに比べうちの鯖寿司はシンプルですね。
旬の時期に獲れた福井県の鯖を瞬間冷凍することで、いつでも美味しい鯖寿司を提供できるようにしています。料理では素材の力を信じて、ごちゃごちゃとしたものは入れない。丁度いいバランスでシャリと鯖の美味しさを味わっていただくのが、うちのスタイルです。
お客様への恩返しのため、歩み始めた新たな挑戦
―「燕/en」がオープンして11年。多くの方が来店する中、今後挑戦されたいことはありますか?
約10年この地で稼がせていただいたので、それを元にイベント会場にもなるような新しい料理屋を作りたいなと思っています。「燕/en」はそのままに、違う環境で料理を楽しんでいただけるような場所。そこで毎月来てくれるお客様も、初めましての方も喜んでいただけるよう、計画できたらと思っています。
本当にお客様に恵まれた店なので、少しでも恩返しできたらいいですね。
―最後に、KIWAMINO読者にメッセージをお願いします。
4、5万円という店も多い中、うちは多くのお客様に喜んでもらえるような価格帯でやらせてもらっています。京都にお立ち寄りの際は、肩ひじ張らず「燕/en」の料理と空間を楽しんでいってください。
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田中嘉人氏 プロフィール
2001年 高校時代にアルバイトで「京都和久傳」の料理人として働く
2003年 「京都和久傳」入社
2004年 ニューヨーク・精進料理店「kajitsu(嘉日)」にて副料理長を務める
2013年 「燕/en」料理長就任
2017年 経営譲渡を受け独立
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【編集後記】
これまで国内外を問わず活躍の場を広げてきた田中氏。その経歴に裏付けされたシンプルかつ心のこもった料理だからこそ、食べた人の心をほっとさせる力があるのだと強く感じました。また、感銘を受けたのが、田中氏の料理を通して恩返しがしたい、という一貫したお気持ち。街中にひっそりと佇み、通いたくなる魅力にあふれた「燕/en」は、京都に行ったら絶対に訪れたいお店のひとつです。
※こちらの記事は2024年10月16日更新時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。