2019年に3代目となる本舘をリニューアル、2022年11月には創業100周年を迎え、多くのゲストから愛され続ける「東京會舘」。今回はメインダイニングとなる「レストラン プルニエ/東京會舘 丸の内本舘」にて、調理長・松本浩之氏にインタビューを実施。シェフ就任からミシュラン一つ星獲得までのストーリーなど、じっくりとお話を伺いました。
目 次
本場フランスや日本の名店を渡り「レストラン プルニエ」へ
―まずは、料理人になったきっかけとフレンチの道を選んだ理由についてお聞かせください。
小学校から高校までは野球をやっていて、将来はプロ野球選手になりたいと思っていたんです。高校最後の夏の大会が終わって周りを見ると、知らないうちにみんな進路が決まっていて。先生に「学年の中で、まだ決まっていないのはあなただけですよ」と言われてしまい、大急ぎで進路を決めることになりました。
僕の父は当時とある企業でメニュー開発をしていて、仕事でフランスに滞在していた時期がありました。帰国後は家で現地の料理を作ってくれることもあり、フランスを身近に感じながら生活していたんです。あとは、家に料理やグルメ系の漫画があったので、料理の道も面白そうだなと思っていて。それがきっかけで、フランス料理のシェフを目指すことにしました。
―日本やフランスでの経歴と「レストラン プルニエ」シェフ就任までの経緯についてお聞かせください。
大阪の「辻調理師専門学校」を出てから、銀座の「Les Anges(レ・ザンジュ)」で修業を始めました。その後は都内で数軒、小田原の「ステラ・マリス」などでも働いてからフランスへ。約6年間で、一つ星から三つ星まで様々な店を渡りました。フランスでは働き詰めで過酷な時期もありましたが、僕とは国民性というかメンタル面で水が合っていたんです。
30歳になる頃、ふと先の人生を考えて「35歳までにどこからもオファーがなかったら、ここに骨を埋めよう」と思っていたところ、日本からお声掛けをいただいて。以前働いていた「Les Anges」の総料理長として帰国することになりました。その後、「Restaurant FEU(レストラン フウ)」で調理長を務めて11年ほど経ったある日「東京會舘」の前社長に「プルニエでやってみないか」とお声掛けいただきました。
実は、高校時代にアルバイトをしていた中華レストランで、周りの人から「東京のフレンチと言ったら、東京會舘のプルニエだぞ」と言われたことがあって。昔の話ですが「プルニエ」という名前を聞いて、これはもう運命だと思って即決。今でも、ここで働くことになったのは偶然ではなく必然だったと感じています。
数々の葛藤を経て辿り着いた、松本シェフならではの料理
―松本シェフのオリジナリティー溢れる料理が評判の「レストラン プルニエ」ですが、普段はどういった部分を意識して料理を作られているのでしょうか。
正直「レストラン プルニエ」に就任して1~2年目は、店伝統の料理と自分の料理をどう表現していくかで相当悩んでいました。たくさんの葛藤があったなか、3年目でやっと辿り着いたのが、昔でいうところの「守・破・離」の考え方。
何を守って、何を捨て、何を続けていくのか。歴史ある料理でも、これと決めたものだけは残して次世代に受け継いでいく、でもそれ以外は受けなくてもいい。この路線でいい、無理にやらなくてもいい。そう思えたときスッと肩の荷が下りた気がしました。
ここは「東京會舘」という歴史ある場所ですが、社長からは「好きなようにやっていいよ」と言われているんです。ですから、伝統にこだわり過ぎず、量のことや味のことなどは、お客さんと対話しながらメニューの路線を決めています。
レシピだけを見て伝統の味を作るなら、別に僕じゃなくてもいいわけで。でも僕は、新しい料理を生み出す苦労があったとしてもオリジナリティーを出していきたい。この気持ちはブレないようにしなければと思っています。
新しいメニューを考えるのは、今でも七転八倒、本当に苦労しているんです。やっとの思いで出来上がった一品を紙に書いて、家に帰ってから飲むビールは、普段と全く違う味がします(笑)。有名シェフとか言われますけど僕自身そんなつもりは全くないですし、ただここでベストを尽くしているだけっていうのが本音ですね。
―素材選びにも深いこだわりを持たれているとのことで、普段から食材を探しに様々な場所へ足を運んでいらっしゃるそうですね。
料理で大切なのは、やはり素材の鮮度と品質。これが9割ではないかなと思います。良い素材に少しのアイデアと正確な火入れがあれば、ほぼ間違いない。海だったり山だったり色々な場所で素材を探してきますが、わざわざ出掛けるのは行った先で新しい料理のアイデアが浮かぶことが多いからというのもあります。
海に潜ったり、山道を歩いていたりするときに、ふわふわとイメージが膨らむんです。机にかじりついているだけでは、いいイメージは浮かばないと思っているので、休みの日はなるべく外に出るようにしていますね。
―松本シェフは大のワイン好きとのことで、お店ではシェフソムリエの方とも普段から密に連携をとっていらっしゃるとお聞きいたしました。
シェフソムリエの木崎君も、僕の料理にはブルゴーニュが合うことをわかってくれています。これまでは昔ながらの「東京會舘」の料理に合わせてボルドーばかりでしたが、現在は半々くらい置いてあります。
毎週遠方から新幹線で来店してくださるご夫婦がいらっしゃるのですが、同じ料理を出さないようにしているんです。そうすると木崎君も必ず僕のところへ来て、ワインをいくつか提案してくれて。「あえてフランスでなくて南アフリカでいこう」とか「ここはチリでいこう」とか、2人で色々と話し合っているとお互いに勉強できるんです。一緒にやり始めて1年、2年と時が経つにつれて、シェフソムリエとの会話も増えてきていると感じます。
ワインへのこだわりについては、やはりフランスにいた6年間は大きかったと思います。色々な地域を渡り歩いて、ワインを飲めば飲むほどわかってくる感覚があって。料理のソースってワインを煮詰めて作るものも多いので、当時たくさん飲んできた経験は間違いなく今に生きていると思います。
スタッフ一丸となって獲得した、ミシュラン一つ星への思い
―昨年のミシュラン一つ星獲得、おめでとうございます。シェフ就任後、コロナ禍など大変な時期があったなか、これまでを振り返って改めて思うことはありますか?
2019年に店をオープンしてからは比較的順調でとても忙しくしていたのですが、2年目あたりからコロナの影響が出てきまして。お客さんが1組も来ない日や、「東京會舘」自体が閉舘した時期もありました。料理人からお客さんをとってしまったら、包丁を持つチャンスもなくて。今まで本当に恵まれていたのだと、一人ひとりのお客さんの重みやありがたみを痛感しました。
「いつかコロナが終わる日に向けて、できることは何だろう」と考えているなかで、まだミシュランの星をとっていないことに改めて気付いたんです。お客さんがほとんど店に来ないようなコロナ禍の時期でも、新しい店が星をとっていましたから「この時間を無駄にしてはいけない」と自分に言い聞かせていました。
―SNSなどを拝見していると、お店のチームワークの良さや温かさを感じます。まさに、スタッフの方たちが一丸となった結果の一つ星ではないでしょうか。
2019年にオープンしたときは、元々フレンチ希望ではなく配属された若いサービススタッフもおりましたし、 “アン・ドゥ・トロワ”など一から教えなければなりませんでした。そういう子たちに、例えば「香りが立たなくなってしまうから、料理は皿が熱いうちに運んで」と伝えても、「熱くて皿が持てません」と。「熱くない!持って行って!」と言っていましたが、もう鬼ですよね(笑)。
僕としては、もちろん、自分自身のお客さんも含め、「東京會舘」の建て替えが終わってからクラシックな料理を食べに行きたいと思っている方全員に喜んでほしかった。そのうえ、会社からは「ミシュランを目指してほしい」とも言われている。もう毎日が必死だったんです。
そうした時期を乗り越えて今思うのは、僕一人で獲得した星ではないということ。サービススタッフ、ソムリエ、調理場のスタッフ、僕の右腕のシェフ、広報のスタッフなど、「東京會舘」全体の人たちがサポートしてくれたからこそとれたものです。
昨年は調理場のスタッフの一人が「国際シグネチャーキュイジーヌコンクール」で日本代表になって、世界大会でも準優勝を果たしましたし、その次を担うスタッフも出てきています。ここまで着いてきてくれたメンバーと共に、これからも日々精進していきたいです。
-ミシュランガイド発表会の夜には、スタッフの皆さまでお祝いされたそうですね。
普段、会社でお酒を飲むことは禁止されているのですが、打ち上げの日は僕が買ってきたシャンパンをみんなで飲みました。大笑いしたり、感無量で泣き出すスタッフもいたりして。あの日飲んだシャンパンは格別の味でしたし、今までの人生で一番と言ってもいいくらい、本当に嬉しい1日でしたね。
僕だけじゃなく、フレンチ業界の人間からしたらミシュランガイドはバイブルと言えるでしょう。フランスで修業していた当時、日本にはミシュランがありませんでしたが、自分が生きているうちに日本にミシュランが来て、評価までしてもらえたわけです。しかも大きな店で全員が日本人。その重みを考えると、本当に大きなことを成し遂げられたと感じます。
二つ星へ向けての挑戦、自身の未来図とは
―今後の目標や、挑戦してみたいことについてお聞かせください。
やはり二つ星を狙いたいです。“倒れるときは前のめり”ではないですが、背中に切り傷で倒れるのではなく、男にはダメだとわかっていても向かっていかなければならないときがあると思うんです。
弱音を言いたいときもありますが、限られた条件の中でベストを尽くすのも男冥利に尽きるかなと。新たな重圧との戦いになりますが、試練はそれを越えられる人にしかやってこないと思っているので。
最近は銭湯やサウナに行って、一人で考えることが増えました。今54歳で“アラ還”なわけですから、還暦プロジェクトのようなものが自分の中で立ち上がっているんです。60歳までに自分は何をしたいのだろうと、自問自答しています。
すぐに答えは出てこないですが、一日一日を“明日死ぬかのように生きる”のが僕のテーマなので、趣味の釣りでも楽しみながら時間をかけて答えを探していきたいと思っています。
松本浩之氏 プロフィール
1969 年生まれ。三つ星レストラン「ラ・コート・ドール」や「ダニエル・メトリ」などで 6 年に渡り本場の味を習得。帰国後は、銀座「レ・ザンジュ」、「Restaurant FEU」などで料理長を歴任。2019 年より東京會舘本舘「レストラン プルニエ」の調理長を務める。フランス料理の本質を踏まえつつ、より軽やかにモダンに仕上げ、人々に感動や幸福を与える料理を志している。