大阪有数の繁華街「北新地」。高級飲食店が立ち並ぶ「大人の社交場」としてのイメージが強いこの地に出店して40余年。ビル一棟、地下1~6階まですべてが系列店舗という異色のグループ展開をする「日本料理 かが万」。創業者である坂博雄氏、そして坂氏のご息女であり女将として店を陰で支える坂優友子氏へ、今の想い、そして未来について伺いました。
生涯現役を貫き、変化を楽しむ坂博雄氏のバイタリティ
―過去の様々なインタビューでお話していた「生涯現役」という現場第一線の姿勢が印象的でした。
坂博雄氏_(以下坂氏):さすがに毎日調理場に立つということは少なくなりましたが、味のチェック、メニュー開発は絶えずしています。大阪のお客様は「わがまま」ですからね(笑)。一筋縄ではいかない。ですが、それに応えていくことが料理人の務めであるとも思っています。ずっと同じようなメニューを出していては支持されない。お客様に喜んでもらうにはどうしたらいいか?毎日飽きることなく考えています。
―お客様に喜んでもらうために取り組まれていることはありますか?
坂氏:お休みの日には、ジャンル問わず「美味しい」と噂を聞いたお店には必ず食べに行くようにしていますし、歌舞伎やサーカスといったエンターテインメントもよく観に行っています。彼らは「楽しませる」点においてプロフェッショナルです。業界は違いますが、私も「お客様に喜んでもらう」という点で共通する部分があるので、舞台が始まるまでの演出など、とても参考になります。
坂優友子氏(以下女将):おやっさん(坂氏)は本当にフットワークが軽くて、どんな場所でも思い立ったらその日のうちに現地に赴いています。日帰りで福岡や名古屋に行ったり。娘の自分でもその行動力には驚きますね(笑)。お店の運営は体力勝負なところもあるので、早朝のウォーキングや水泳も欠かしていません。本人の性格上、絶えず変化を起こそうと考えているので、その変化に対応できるように準備を怠らないのでしょう。自粛期間中の頃なんかは、真夜中に家の部屋の模様替えを始めてしまうほど(笑)。そういった思考があるので、新メニューに関するものは毎日出していますね。
坂氏:実際に一人のお客として食べに行き、味や提供方法など「すごい」と感動したお店は、参考にさせてもらって「かが万」なりのエッセンスを加えて料理に活かしています。たとえば中華料理で「旨い」と思ったものを和風にするなら……といった着想です。なんでも真似から始まると思っています。私たちは「素人であり、玄人」ということを忘れず、常に自分のお店に活かせる何かを模索し続けています。
―具体的な形で活かされた事例などはありますか?
女将:驚きや感動、というところでは、系列の「おでん 万ん卯別館」でコースの〆の一つとして、100円玉サイズの小さなおにぎりを提供しています。見た目にも可愛らしい一口サイズのものなのですが、ひとしきりお料理を楽しまれて落ち着いた頃に、お客様へ提供するんです。お重を開くと皆さん一様に「おお!」と歓声が上がります。ささやかな驚き、お客様の楽しんでいる様子を見ていると私たちも幸せになりますね。
―仕事以外の場でも見聞きして体験したものがメニューに活かされているのですね。新メニューはどのような工程を経て、決定されるのですか?
坂氏:私の頭の中のイメージをレシピへと表に出し、実際に作ってもらいます。皆でその料理を試食してみて、味はどうか?器はどうか?お客様に楽しんでもらえるか?といった様々な角度から意見を出し合い、最終的には各店舗の責任者である店長に「お客様へ納得して提供できるものかどうか」を判断してもらうようにしています。提供するメニューには、私の「想い」を込めた料理を提供したい。単純に、流行っているからといって何をしてもいいわけではないと思っています。
―坂氏の仰る「想い」とは、「こだわり」という言葉に置き換えることができると思うのですが、それはどういったところに反映されるのでしょうか?
坂氏:頭に浮かんだものを形にするにあたり、まず私自身が「その料理に愛情を注げるものかどうか」が前提です。そこから食材、調理法、盛り付ける器、召し上がり方まで、それこそ1から10まで考えています。器ならば、私が生まれた石川県の輪島塗を中心に、全国津々浦々の器を自分で目利きして仕入れています。また、飲食店はメニュー開発が骨頂だと思っていますので、身の周りのあらゆる物事の中で「良い」と感じたものを真似てみて、新しいものを生み出すように心掛けています。どんな人でも、お店が繁盛しだすと自身の研究を怠りがちになってしまうものですが、それではいけない。私たちは絶えず進んでいかなければならない。感性を磨くために、先ほど言ったような飲食店や歌舞伎など、多岐にわたってできるだけ多くのものに触れようとしているのです。
同じ場所に店舗を展開するようになった背景
―飲食店が複数店舗展開される場合、大半は別のエリアに出店されるケースが多いですが、「かが万」はビル一棟まるまる系列店、また同じ北新地というエリアに出店されています。
坂氏:もともとはこちらの都合で店舗を増やしていったわけではありません。幸いにも創業してから、多くのお客様に来ていただけるようになり、その中で生まれる多様なご要望にお応えしていこうとした結果、おでんや割烹、天ぷら、鮨といった各ジャンルに特化した支店が増えていった形です。ですが、各店を互いに離れたところに置いていては「かが万」としての考えが薄まってしまう。なので、あくまでも私の目の届く範囲でしっかりとサービスを提供していくよう、できるだけ距離の近い範囲にお店を置いています。
また、私には「店はチームで運営していくもの」という考えがあります。遠く離れた場所に系列店があると、たとえば「店長が風邪をひいたから休業する」といったことも想定されます。それではお客様のご要望にお応えしていくことはできません。これらのことを踏まえ、なるべく近い距離にあるほど柔軟な連携がとれると思っています。
北新地は気軽に立ち寄れる場所。変わらない「かが万」の姿勢
―「北新地」と聞くと、なかなか気軽に訪れることのできない「敷居の高さ」を感じる人も多いと思います。
女将:数年前に「串カツのだるま」さんが北新地に出店したときには、衝撃を受けましたね。「だるま」さんは昔から大阪・西成区の「新世界」という賑やかなエリアにある、人気の串カツ屋さんだったので、「こんなお店が北新地に出店するんだ」と。決して、マイナスなイメージではなく「北新地という場所が、気軽に立ち寄れるようなエリアになってきたんだ」という時代の変化を感じさせる印象的な出来事でしたね。
坂氏:私がお店を出す頃から、北新地は大阪の一等地として有名でした。だからこそ「この場所で勝負したい」という想いもあってこの場所に決めたのですが、こうして徐々に敷居が低くなってきたことで、今では当店にもジーンズにスニーカーといった、カジュアルな服装で訪れる若いお客様も増えましたよ。以前は、接待や社交の場としてスーツをお召しのお客様が多かったですが、「北新地はこんな場所でなければならない」ということはありません。お店も場所も「新陳代謝」していかなければいけない、と思っています。なので、若いお客様にたくさん来ていただけるようになったのは、お店としても大変ありがたいことだと思っています。
女将:本当にありがたいですね。だからもし、まだ北新地に訪れたことのない方でそういったイメージをお持ちだったら「全然、敷居なんて高くないですよ」とお伝えしたいですね。もちろん「うちは名門だ!」とも思っていないですし、気軽に足を運んでもらえると嬉しいです。当店にご来店いただけるすべてのお客様には、ゆっくりと楽しんでいってもらいたいですし。
―飲食店の中には「お店に合わないお客様には来ていただかなくても結構」といった考えをお持ちのところもあるようですが、そのあたりはどのようにお考えですか?
坂氏:当店ではそのような考えはないですね。先ほどの「新陳代謝」というものを重視していますので、女将も言ったように「誰でも、気軽に、いつでも」来てもらえたら、と思っています。時代の変化とともにお客様も変化する。お店もそれに応じて変化していかなければ、と思っています。気軽に「行ってみたい」と思っていただけるように、昼のメニューの中にはお求めやすい価格のものもご用意しています。系列店の「湯どうふ かどのや」で提供している親子丼や鍋焼きうどんといった一品ものなどは、初めて来られるお客様にも大変ご好評いただいていますよ。
―これまでのお話しを伺っていると、坂氏あってこその「かが万」というグループに感じます。今後の展望をお聞かせください。
坂氏:もちろん、私がいる間はそうかもしれません。ただ、このままではいけないとも考えています。その時代、その時代に応じてまた新たな「想い」を出していかなければいけない。各店舗の現場に立っている従業員にもその重要性を伝えていっています。もう一方で、来ていただくお客様に対して「この料理はぜひ食べてほしい」といった「自分の想い」を押しつけるような姿勢を持ってはいけない。いつでも気軽に来ていただける、「わがまま」な大阪のお客様の要望にいつでも応えていけるよう、気配りは絶やしません。いろいろなお客様にとっての「普通」をご提供できるように、この姿勢は崩さず、長く愛される店づくりをしていきたいですね。
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【プロフィール】
■坂博雄氏
1943年、石川県生まれ。16歳の頃に大阪の海運会社に就職。ボーイとして1年間を過ごしたのち、以降4年間は船のコックとしてキャリアを積む。20歳の頃に読んだ、秋山徳蔵著の料理本をきっかけに日本料理に興味を持ち、その後15年間、老舗日本料理店などを渡り歩き、35歳の頃に北新地で「湯豆腐 かが万」を開業。その後日本料理を核として、現在北新地のエリアに6店舗を展開。「生涯現役」を貫き日々、各店の現場へ出向いて第一線でお客様と向き合っている。
■女将・坂優友子氏
大阪生まれ。坂氏の長女として幼少期から日本料理に慣れ親しむ。大学卒業後は化粧品メーカーに勤めていたが、その後しばらくして同社を退職。以降は父である坂氏が営む「かが万」を陰で支える女将として、接客、従業員育成など多岐にわたる業務をこなしている。
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※系列店情報
「日本料理かが万」、「割烹ふくのや」、「湯どうふ かどのや」、「おでん 万ん卯」、「おでん 万ん卯別館」、「天ぷら 萬」、「おでん・一品 とみ乃家」、「鮨処 さか卯」
【編集後記】
現在78歳。穏やかに語る坂氏の瞳は輝きに満ち、取材中も前のめりに熱心な想いを語ってくださった。まだまだ衰えることのない料理人の姿を優しい眼差しで見守る女将。家族であるからこその強い絆と、何より坂氏から溢れ出るバイタリティにグループ全体の強さを垣間見た気がした。目まぐるしく変化する時代の流れを柔軟に対応していく背景には、あらゆるお客様にとっての「普通」を提供し続ける姿勢と、「かが万ならでは」を追求する料理人としての覚悟が支えになっているように思う。
※こちらの記事は2023年11月01日更新時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。