インタビュー|

福岡「田無羅」田村嘉彦氏に聞く、お客様一人ひとりに向き合った医食同源の韓国料理の魅力とは

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1967年に博多で創業し、現在は福岡の中でも飲食店が多い春吉に店を構える韓国料理店「田無羅」。2代目店主の田村嘉彦氏が、自身の足で韓国を訪れて感じた味や世界観を表現した「田無羅」ならではの料理を目当てに、県外や海外からも多くの人々が訪れています。
今回は、料理人を志したきっかけから今後の目標まで、たっぷりとお話しを伺いました。

実家の店を手伝う中で、祖母の韓国料理をきっかけに料理に目覚める

-料理の道へ進んだきっかけについてお聞かせください。

実家は精肉店で、1967年に博多で焼肉店を始めました。私はもともと料理を仕事にしようとは思っておらず、学生時代をアメリカで過ごしましたが、帰国後は就職活動が上手くいかず、実家の焼肉店を手伝うようになりました。

肉のことは父から教えてもらいましたが、私の料理のベースは、子供の頃に祖母が作ってくれた韓国料理です。子供の頃は、独特の香りや辛さが苦手であまり好きではなかったですが、大人になってから、祖母の料理を懐かしく思って無性に食べたくなり、自分で韓国料理を作るようになりました。
自分なりに料理に取り組む中で、ある日、店番をしていたときに注文を受けて作った料理を、お客様が褒めてくれたんです。それが人生で初めてお客様に出した料理で、料理の世界の素晴らしさは、自分の想いを形にできることだと気付きました。

-そのエピソードが、本格的に料理人としての志を持たれる転機になったのでしょうか?

それもきっかけのひとつですが、本格的にやろうと思ったのはもう少し先です。自分で韓国料理を作るようになってから、祖母の料理の記憶がどんどん蘇ってきました。そこからもっと知りたいと思うようになりましたが、習うところも学ぶところもなかったので、実際に韓国に行って、現地の料理を食べて感じたことを表現する、ということを繰り返して、自分の料理の形を作っていきました。
そういった中で、自分のルーツや韓国料理の歴史的な背景を更に調べて総合的に理解していく上で、医食同源を意識するようになったんです。医食同源への意識が芽生えたことで、本格的に料理の道でやっていこうと思うようになりました。

現地を訪れて感じた世界観を表現した医食同源の韓国料理

-2001年に現在の場所に移転されたことをきっかけに医食同源のスタイルになったのではなく、その前から既に医食同源を意識されていたのですね。

そうですね。料理人としてやっていこうと思ったのは30歳を過ぎた頃で、その頃にはほぼ私メインで店をやり、医食同源を取り入れていました。でも、移転をきっかけに、より医食同源を意識しようという気持ちでしたので、想いが形になる第2歩目が今の店ということです。

-「田無羅」の料理のキーワードのひとつである“医食同源”について教えてください。

体が今欲している、体が喜ぶ料理、体にいい料理というのを一番大事にしています。
日本でイメージされる韓国料理は“辛い、赤い、焼肉、ニンニク”など分かりやすいものばかりがクローズアップされますが、実際には“そうではない料理=体に優しい料理”が山のようにあります。韓国も日本もお米が主食で、肉も魚も野菜も食べるので、実は韓国料理と和食はとてもよく似ているんです。
日本で知られていない韓国料理を表現するのは難しいことですが、それを表現できるように日々取り組んでいます。料理人の一人ひとりにそれぞれの世界観があるように、私が現地で感じた、私の中の韓国料理の世界観を表現しています。

-そのまま食べても美味しい焼肉を、お肉だけで食べるのではなく、野菜やキムチなどと一緒にいただくスタイルが新鮮に感じました。

韓国では肉や魚をそれだけで食べることはあまりなく、包んで食べたり混ぜて食べたりすることが多いです。「パンチャン」という料理がテーブルにたくさん出てきて、メイン料理が出てきたときに、メインに合わせた辛み、香り、野菜などをミックスして食べるんです。色々な味を口の中で表現するためにたくさんの「パンチャン」は欠かせませんが、それを日本でやろうとすると、見ただけでお腹がいっぱいになりますし、カウンターやテーブルに乗り切らないと思います。なので、そこはアレンジをして、この肉にはこの野菜を、この魚はこの食べ方で、と組み合わせたものを、一品一品順番通りに出してあげることで、料理の起承転結を表現しています。

-美味しいものを少しずついただくスタイルは今でこそスタンダードになりつつありますが、それをいち早く取り入れられていたのですね。

最近は赤身の肉が好きな方や脂っぽい料理を好まない方が多いですが、私の店に来るお客様も、10~15年くらい前までは、ロースやカルビなど「霜降りのとろける肉が食べたい」という方が殆どでした。量も、昔は同じ種類の肉を4人前や5人前も食べる方が多かったのですが、今では殆どいません。
そういった時代に合ったやり方を経て、店もお客様と共に成長してきました。今では来てくれるお客様の多くは「焼肉を食べよう」というよりは「田無羅に行こう」「田無羅でお肉を食べよう」という方が殆どになりました。

ベストなカットで、ベストな状態で、ベストな一口をそのお客様に合わせたペースで焼いて、お野菜と共に出ししているので、良い意味で焼肉感が無いし、同じ肉を何枚も食べてお腹いっぱいになるのではなく、色々な種類を少しずつ別の食べ方で楽しめます。みなさんが知っている焼肉とは食べ方が違うので、実際にお客様からも「良い意味で、焼肉を食べている感覚ではない」と言われますね。

-もともとは精肉店とのことで、お肉へのこだわりもひとしおかと思います。

肉は、九州の牛の中からその日の肉を見て、自分のお客様に合うかどうかを基準に選んでいます。
良い牛をたくさん育てている生産者さんも知っていますが、やはり生き物なので毎回必ず同じものが出てくるとは限らなくて、良いときもあれば悪いときもありますからね。お客様の好みや料理に合ったものを選ぶというのを大事にしています。

-「江戸前鮨のように一つひとつのお肉に丁寧な仕事をしている」「お肉がみずみずしい」などと、お肉の扱い方を絶賛されるクチコミを数多く拝見いたしました。

ミリ単位での肉の厚みや、カットの方向、肉の融点など、口の中での感じ方が全く変わるので、肉を扱うときは特に集中してしまいます。一切れの美学というか「一口がこんなに美味しいんだ」というものをお客様も求めていますし、私もそういったものを提供したいと思っています。お客様からそう言っていただけるのは有難いですね。

-おすすめの一皿「テールの塩焼き」はどのようにして誕生したのでしょうか?

韓国は牛テールの消費が世界的に多いですが、定番はスープや煮込みで、塩焼きは韓国にもない料理です。塩焼きにしようと思ったのは、テールを焼いて食べるという料理をどこにも見たことがなかったからです。肉も魚も、煮ても焼いても美味しいし、テールも煮て美味しいのだから、焼いても美味しいだろうと。実際にやってみたら美味しかったので作るようになりました。

-今までやっていないことに気付いて挑戦するという、アイディアと行動力がすごいですね。

自由な発想が受け入れられるのが料理の世界の良いところ。真っ白なキャンバスに自分が好きな絵を書いていい、と気付くことができたので、どんどん料理にのめりこんでいったんだと思います。“想いを形にできる”ということですね。

お客様一人ひとりと向き合ったオーダーメイドのおもてなし

-自由な発想という点では「田無羅」という店名は、お名前の「田村」をアレンジしたものと拝見しました。

店の名前が漢字2文字だと固い印象があったので、私の料理や私自身も型を外して“自由な発想で表現をしたい”という想いを込めて「田無羅」という3文字の店名にしました。

-自由な発想というのは「田無羅」のもうひとつのキーワードでもある“オーダーメイドのおもてなし”にも繋がるかと思います。実際におもてなしにおいて、どのようなことを意識されていますでしょうか?

日本では親しい人との会話で「お茶しよう」とよく言うように、韓国では「食事しよう」という会話がよく出てきます。ひとりで外食をすることは殆どなく、親しい人と一緒に食事をする韓国の文化の中で、相手のことを考えることも当たり前の感覚として、私のベースになっています。
なので、お客様に対しても「どうしたい?」「何食べたい?」という気持ちから、例えば「最近あまり元気がないというお客様にはこんな料理はどうか」「前回はこの料理を食べてもらったから今回は違う料理はどうか」と1対1で料理を作っています。
そういった想いから、カウンター席で、お客様の顔を見て会話しながら料理を作るという今のスタイルになりました。
そうすることで、次に予約をいただいたときには「あのお客様はこの料理が好きだったな」「次はあの料理を食べてみたいと言っていたな」と考えて、料理に活かすことができます。お客様にまた来たいと思っていただくきっかけにもなるので、コミュニケーションを大事にしています。

日本のみならず、世界から受け入れられるグローバルな韓国料理を目指して

-先代から約55年続く中で色々な挑戦をされてきたと思いますが、今後の目標をお聞かせください。

もっと広い世界の中で、色々なジャンルの人種や色々な人達に受け入れられる、グローバルな韓国料理を目指していきたいと思っています。キムチや辛み、ニンニク、みそ、コチュジャンなど、癖のある調味料をたくさん使いますが、それをいかにグローバルに、色々な人に受け入れてもらえるように、自分なりに工夫して、誰もが知る、誰もが食べられる韓国料理を作りたいですね。

-その目標に向けて具体的に考えていることはありますでしょうか?

過去に開催された韓国でのイベントの様子①
過去に開催された韓国でのイベントの様子②

今後、コロナが明けたら韓国に店を出したいと思っています。世界に行くには、まずは韓国の人に認めてもらわないといけないですからね。
今はコロナ禍でストップしていますが、韓国のホテルでのプロモーションで私のランチやディナーのコースをやったり、料理を教えるクッキングスクールを開催したり、韓国で何度もイベントをやらせてもらった経験があるんです。
コロナ以前は、韓国からのお客様もたくさん私の店に足を運んでくれていて、お客様から聞いたのですが、僕の料理は韓国でも非常に話題になっているそうなので、もっと韓国の人に僕の料理を知ってもらいたいです。そこからまた、想いが形になる次の1歩が始まっていくのかなと思います。

-最後に、この記事を読んでくださる方、これから「田無羅」に来てくださる方へメッセージをお願いします!

今、店のメニューはアラカルトを止めておまかせコースのみなので、予約をして来店していただくときには、できれば電話でお客様の想いを聞かせて欲しいと思っています。
例えば「『田無羅』にしかない料理を食べてみたい」とか「お肉はあっさりがいい」とか「脂が多いのも好き」とか、食べ物の好き嫌いだけでなく、想いを少しでも聞きたいです。
料理は、食べる人の想いと作る人の想いがあって初めて形になるものです。更に美味しさとは何かと考えたときに、ただ味がいいだけでなく、自分の想いを感じ取って作ってくれた料理は、より美味しく感じられるはずですから、そういう料理でありたいです。お客様の想いにどれだけ合わせた料理を作れるかということが僕の頑張りどころですからね。
コミュニケーションを取ることで、予約していただいた当日を、お客様も私もお互いが楽しみにできるのではないかと思います。

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田村 嘉彦
1968年、福岡県生まれ。
福岡市東区にあった実家の焼肉店を手伝う中で料理の道に邁進し始め、2001年に中央区春吉に移転し現在の「田無羅」を開く。
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韓国料理・韓国焼肉

田無羅

福岡市営地下鉄七隈線 天神南駅 徒歩5分

15,000円〜19,999円

【編集後記】
優しい笑顔で想いを語ってくださった田村氏。丁寧な仕事をした料理も、お客様ひとりひとりに向き合う姿勢も全て「美味しい料理を食べていただきたい」「食事の時間を楽しんでいただきたい」という想いに通じているのだと分かりました。
「韓国料理=辛い料理、赤い料理」というのは実はほんの一部で、今まで知らなかった魅力や奥深さに気付けたことは私にとって大きな発見でしたし、きっとお客様も、お店で私と同じ発見を、全身で感じられるのだと思います。
私も実際にお店に伺って「田無羅」でしか味わえない韓国料理の世界に魅了されてみたいものです。

Mika Tsuboi

一休.comの宿泊営業アシスタントから編集部へ。ワインと一緒に、美味しいものを少しずついただくのが最高の幸せ。こぢんまりとしたフレンチやネオビストロがお気に入り。
最近は日本ワインにも興味を持ち、旅先で出会った好みのワインを自宅で愉しむのが日課。パンやスイーツなどにも目がなく、週末にはカフェやパン屋巡りをし日頃の情報収集も欠かさない。
・最近行ったお店:Restaurant Fermier/六雁/Varmen
・好きなお店:広尾 ぺりかん/RESTAURANT MAMA./LATURE
・得意ジャンル:ビストロ
・好きな食材:ジビエ/蛤/伊勢海老/キノコ

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