福岡「照寿司」渡邉貴義氏に聞く、北九州から世界へ多くのゲストを魅了する“寿司アドベンチャー”とは

白衣に赤い蝶ネクタイ、鋭い眼差しでゲストに寿司を差し出すポーズがInstagramのハッシュタグ「#sushibae」で拡散され、世界中から注目を浴びる「照寿司」の店主・渡邉貴義氏。福岡県北九州市戸畑区という決してアクセスが良いとは言えない地にお店を構え続けることにこだわり、国内外問わず魅了するパフォーマンスについて、お話を伺いました。
※本インタビューは、2021年9月15日に感染症対策の上で行いました。

お寿司屋の息子として生まれたサラブレットであるからこそ

-まず、料理人を目指されたきっかけについて、お聞かせください。

2代続く寿司屋の長男として生まれたのですが、子供のころはフランス料理のシェフになりたかったんですよ。かっこいいなくらいの憧れだったんですけどね。家業のことを考えたのは大学生のときでしょうか。「照寿司」は地元では名が知られていたので、自分が経営者になってもっとお店を大きくしようと思っていました。大学を卒業した22歳のときに地元・戸畑に戻り、現場を知らなければならないという父の勧めで、日本料理店に修行に行きました。

-そのお店で料理の基礎を身に着けたのでしょうか。

師匠は自分に厳しく腕もある方で、多くのことを学ばせていただきました。そこで1年半ほどいさせてもらって、もう1店、ホテルの和食店へ行きました。ホテルでは結婚式や宴会をメインにしていたので、1日1,000人分の魚を捌いて刺身にしたりしていましたね。これらの経験は大きかったですね。

-26歳でご実家の「照寿司」へ戻られましたが、板前としてではなかったそうですが。

修行先で約4年間、他の現場を勉強させてもらいましたが、経営者になるという思いは消えていなかったので、「照寿司」を裏から支える仕事をさせてもらいました。でも、2年ほど経ったときに、先代から「板前としてつけ場に立て」と言われたんです。嫌でしたね(笑)。父親の下では働きにくいと思ったんですよ。ただ数十年続く「照寿司」に3代目として、寿司屋という星の下に生まれたサラブレットとして、進まねばならない道だと思い、つけ場に立つ決心をしました。修行時代に寿司は学んでいますが、日本料理店のそれとはまた異なる世界。当時の「照寿司」では仕出しもしていたので、1日に寿司2,000貫、巻物500本と、かなりの数をこなしました。これも今の力になっていますね。

「照寿司」から北九州を全国へ発信するためにInstagramをスタート

-先代からお店を引き継ぐタイミングが、現在のスタイルに変えるきっかけだったんでしょうか。

引き継いですぐではなかったですね。28歳でつけ場に立ち、数えきれない寿司を毎日握りながら「自分はこのままでいいのか」とずっと悩み考えていました。30歳を過ぎたあたりから、自分が思う寿司屋にしたいという意志が強くなり、ショーケースをなくして一枚板のカウンターにし、仕入れる食材にこだわるようになりしました。それから徐々にですかね。
今もそうなんですが、いろいろな情報をチェックするのが好きで、先代が購入した古い寿司の本も読めば、YouTubeも見たりしています。それらの情報を自分の中で整理し咀嚼して様々なことにチャレンジしてきました。その一つがInstagramだったんです。

-「#sushibae」というハッシュタグで世界を席巻し、今では約15万人ものフォロワーがいるほどまでになりましたが、そのきっかけは何だったのでしょう。

北九州戸畑の、素晴らしい食材をもっと多くの人に知って欲しいという思いからです。地方は、東京などの主要都市と比べてまったくと言っていいほど情報を発信する能力、いわば発言権がないエリア。だから自分がまず前に出て、地元を盛り上げるしかないと思ったんです。それで姪っ子からInstagramなどのSNSを教えてもらいました。最初は「いいね」が3つ付いたら良い程度でしたね。ありがたいことに今では、北九州市観光大使もさせていただいて。これからも戸畑というマイナーな地域が、有名都市に負けないくらいのすばらしさがあることを紹介し続けたいですね。

訪れたゲストをワクワクドキドキさせる“寿司アドベンチャー”の世界

-今では「照寿司」に訪れることを旅の目的としている方も多くなったそうですね。

お客様には地元の方もいらっしゃいますが、たった約57,000という人口の戸畑という街へ、わざわざ寿司を食べるためだけに、県外はもとより海外からも多くの人が来てくださっています。だからこそ、いかにしてもてなしたら良いのかをすごく考えていますね。寿司や一品料理が美味しいのは当たり前。それ以上のものがないとこんな地方まで来て、4万円以上のお金を払うなんてできないですよね。

-その思いから生まれたのが、ご自身でも表現していらした「寿司界のスーパー歌舞伎」というスタイルなのでしょうか。

寿司の世界には様々な制約があって、特に江戸前寿司は由緒正しき伝統があります。東京のお店にあるなら、そのルールを破ろうとは思わなかったでしょう。でもうちは東京都港区ではなく、福岡県北九州市の戸畑にある寿司屋ですから。なにかプラスアルファがないとだめだと。お寿司を手渡しで提供させてもらって、握りたてをすぐ味わってもらったり、仕入れた最高の魚介類をそのままお客様の前でお見せしたり。伝統的な寿司にエンターテイメント性を加えてみたんです。

-ただ、その一方でいろんな批判もあったとお聞きしました。

私のこの赤い蝶ネクタイや先丸蛸引包丁も画映えを考慮に入れて徐々に付け加えられたものです。いきなりこれでスタートしたわけではないんですよ(笑)。いろいろ試行錯誤しながら、お客様をいかに喜ばすか楽しませるかを考えた結果が今のカタチなんです。最近はほとんどいらっしゃらなくなったんですが、このスタイルを好まれない方がいらっしゃるのも事実です。ただ、これがお客様を楽しませるベストな方法だと私は考えています。このスタイルで行こうと決めてからも、いろいろな人の声を聞き、傷つき悩み続けてきました。ですが、自分自身が信じる最高のおもてなしをさせていただいていますし、それに対しての反する声は、単純に“合う・合わない”の問題なのだと考えるようになりました。このスタイルを好んでいただける方に、もっと楽しんでいただくことを考えるようになってまた世界が広がりました。

-広がった世界が、現在テーマとして挙げていらっしゃる「寿司アドベンチャー」なのでしょうか。

私がご挨拶をさせていただくとみなさん「Instagramとそのまんま!」と喜んでくださるんです。食べる前に喜んでいただける価値のある人間になれているのがうれしいですし、そんな存在であり続けたい、お客様に喜んでいただける自分でいたいと思っています。でも正直、恥ずかしいですよ(笑)。街中でも「あっInstagramの人」と言われることがありますから。アイコン的に私がお出迎えさせていただいて、美味しい料理や寿司を食べていただく。次はどんなプレゼンテーションで料理が出てくるのか、ワクワクドキドキしてもらうのが「寿司アドベンチャー」というテーマへの思いです。

-まるでドラゴンボールのような、摩訶不思議で非日常の体験ができるということですね。

アニメの世代なのでそのイメージですね(笑)。また、いまでは観光化している「照寿司」だからこそ、様々な形でお客様に楽しい思い出も作っていただきたいと、照寿司ミュージアムというのをお店の奥に作らせてもらいました。照寿司の歴史やグッズなどを展示したり購入できたりする部屋なんですが、併せて楽しんでもらえています。

地元の食材を9割以上使用する「照寿司」だからこその逸品たち

-エンターテイメント性が多く取り上げられていますが、肝心の寿司・料理でゲストを満足させていることがまた、「照寿司」のすごさだと思うのですが。

使用している食材の9割は地元で仕入れたものです。私しか仕入れることができない食材ばかりですから。例えば船上放血神経柱〆めのサワラや五島列島産クエとか。
10月は、九州・山口県産の松茸ですね。今度、私が料理人として一番尊敬している「NARISAWA」のシェフ成澤さんと一緒に採りに行くんですよ。その松茸を1か月くらい限定で出させてもらいます。あと「照寿司」と言えばクエ。クエをある有名漫画が全国区にさせましたが、その20年のときを経て、「照寿司」が再度全国区にしたと言われているんですよ(笑)。クエは冬のイメージがありますが、オールシーズン美味しい魚なので、それも味わってもらいたいですね。

-スペシャリテの「鰻バーガー」はどのように生まれたのでしょうか。

すべての料理に言えることなんですが、いきなり今のメニューになっているものはほとんどないですね。「鰻バーガー」も最初は蒲焼きや白焼きで出していたんです。それだけでは面白くないから握りにして、そこから鰻で挟んでみようとか、持ちづらいから海苔を使おうとか。そんな感じでブラッシュアップを繰り返して今の形になっています。今では多くのお店で、私の寿司の提供の仕方を含めて伝播していますが(笑)。

-「照寿司」へ来る理由に“渡邉様に会いたいから”というファンのようなお客様も多いとお聞きしました。

お寿司も食べたいけども「あなたに会いに来ました」と言ってくださる方も多いんです。左手に寿司を乗せ、歌舞伎の見栄を切るような寿司の提供の仕方など、私が試行錯誤を繰り返して始めたことをたくさんの方が真似をしている今も、見たい会いたいと言ってくださる。大変ありがたいことです。

-今後の目標、思いをお聞かせください。

私の野望に、“照寿司で世界を侵略する”というのがあるんです。それがもう一歩のところまで来ています。これを読んでいらっしゃる方は、「何を言っているんだこの人」と思うかもしれませんが、数年後にはその世界になっていると私はここで宣言させていただきたいですね。そもそも「照寿司」は祖父母の代から始まって、私の母の名前が店名の由来となっています。私で3代目ですが、代ごとにどの層をお客様にするかが変わっているだけなんです。お客様を喜ばすという軸は、なにも変わっていません。この道を進み続け、いつかは地元に寿司とはまた違った形で恩返しができたらなと思っています。

-”照寿司で世界を侵略する”その景色がもう見える気がします。

着実に進んでいますが、悩みもあるんですよ。「照寿司」は、もっと進化していかなければいけないと思っているんです。このスタイルを続けるのではなく、より高みを目指して。ただ、今のスタイルを望んでいるお客様が多いのも事実。単純に進化をするのは簡単なんです。ただ、変わらないものを求めるお客様に対して、その思いも叶えつつ進化していくのが難しい。世界も見据えながら、これを今考えているところですね。

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【プロフィール】
渡邉 貴義
1977年8月、福岡県北九州市に生まれ。2代続く寿司屋「照寿司」の経営者となるべく大学へ。卒業後は、現場を知るため和食の道へ。3年の研鑽を経て、父が営む【照寿司】の営業部門で働くことに。26歳のとき、父の勧めもあり照寿司の板前へと転身した。2013年に3代目になると、店のスタイルを一新。Instagramをきっかけに、たった数年で世界にその名を知られる店舗へと成長させた。
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寿司

照寿司

線 駅 JR戸畑駅よりタクシーで5分

30,000円〜39,999円

【編集後記】
「お客様をもてなすために当たり前のことをしているので、ありがとうと言われたくはないんです。地元のためとか地域を潤すとか声高に言うのもすこし違うと思っています。私は、家族やお店で一緒に働くスタッフ、仕入れているお店の方たち、そしてお客様、まず自分の周りの人を幸せにしたいと思っています。いち寿司職人ができるのはそれが精一杯です。地域を盛り上げるのは、市長とかにならないと無理ですよ(笑)」と照れながら話す渡邉様。お寿司やエンターテインメント性だけではなく、嘘偽りのない真摯な姿勢が多くの方を魅了する要因なのだと思いました。

※こちらの記事は2023年04月20日更新時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。

吉田ふとし

人材業界系メディアの編集・制作を経て、現職。小学生の娘をもつ1児の父。アルコール(日本酒、焼酎、ウィスキー)を好むのは祖母譲り。読者のみなさまには、気づきのある多くの情報をお届けいたします。よろしくお願いいたします。

【MY CHOICE】
・最近行ったお店:ジランドール
・好きなお店:広東料理 センス
・自分の会食で使うなら:「赤坂浅田」
・得意ジャンル:和食 / バー
・好きな食材: ジビエ、白子

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