すき焼きの魅力をプロが語る!「人形町今半」社長・髙岡哲郎氏×マッキー牧元氏 特別対談

ハレの日やお祝いの席のご馳走としても人気を博し、国民食のひとつである「すき焼き」。その起源は幕末から明治にかけてとされ、日本人の肉食の歴史と共に発展を遂げてきました。今回は、老舗「人形町今半」代表取締役社長・髙岡哲郎氏と、タベアルキスト・マッキー牧元氏の対談が実現。「すき焼き」をこよなく愛するおふたりに、その歴史や魅力、未来についてたっぷりと語っていただきました。

“食”を通じて繋がる髙岡氏×牧元氏

-おふたりはご友人でもあると伺いましたが、どのような出会いだったのでしょうか。

マッキー牧元氏(以下、牧元):某バーでの出会いが最初ですね。そこから共通の知り合いが居て、みんなで食事に行ったりしたところからの繋がりです。

髙岡哲郎氏(以下、髙岡):そこが最初ですか。そのうち、ふたりでひとつのテーマにフォーカスしてご飯に行くことが多くなっていきましたよね。食事だけに集中して、語り合うのが面白かったです。

牧元:ふたりで都内のすき焼き屋を片っ端から行ったこともありましたよね。

髙岡:1か月くらい掛けて、すべて巡りましたよね。色々な気づきがあって、楽しかったです。

-ぜひ今回は「すき焼き」に精通されているおふたりに、様々な観点からお話を伺えたらと思います。

役牛として、農業の宝であった牛

-まずは、日本における肉の歴史をお聞かせください。

牧元:675年・天武天皇のときに「肉食禁止令」が出たというのが、ひとつの転機だと思います。ただ、これは稲作をやっている時期に限定されていたのと、鹿と猪は含まれていないんです。仏教の“不殺生戒”に基づいてという考え方もありますが、要するに、稲作を中心に経済を動かそうとした国家が「肉ばかりを食べて、稲作をサボってはいけないよ」というものだったんです。

髙岡:そうですね、そもそも縄文時代は肉を食べていたとされています。そのなかで朝鮮半島から渡ってきた牛というのは、小ぶりで人懐っこく、人間にとって神聖なパートナーだったんです。つまり、牛というのは、農業のための大切な宝だったんですね。そしてその考え方は、昭和27年まで続くんです。

牧元:昭和27年!私が生まれる3年前までです。たしかに古くは牛車に使用されていたり、神聖なものとされていたので、牛はほとんど食べなかったんですよね。

髙岡:天武天皇は、稲作を国を治めるためのキーファクターにしていきました。その時に大事になるのが“役牛”としての牛。当時、日本がまだたくさんの水に覆われていて、狭いところで稲作をしなくてはならず、小回りのきく牛が重宝されていたんです。その代わり、不作が続くと、牛は“贄”として捧げものになる。ですから、生贄の習慣ができてから、日本人は牛を食とする体験が増えていったんです。そこで、あまりにも美味しい贄の体験をしちゃったので「農繁期だけには贄にするなよ」と、というお達しに繋がるわけです。

牧元:逆に、稲作に敵だった猪や鹿は食べていいということですね。

髙岡:実に政治的な思想が入っていたということですよね。その後、昭和27年に、なぜ役牛じゃなくなったかというと、アメリカ軍がトラクターを日本にどんどん入れるようになったからなんです。それ以降、食肉用として牛がマーケットに流れるようになりました。

牧元:なるほど。幕末になると「肉食禁止令」も緩みがでてきましたけど、近江牛の味噌漬け「反本丸(へいほんがん)」は大名への贈答品として人気でしたよね。

髙岡:結局、役牛なんです。ちなみに、江戸時代後期には、いい牛を作る天才・前田周作という人が居て、彼が作った牛が、優れた和牛の系統である三大蔓牛(つるうし)になっていくんです。彼が居なかったら、近江牛も生まれていなかったし、今の牛肉文化は無かったですね。

肉食の奨励と、牛鍋の流行

-「肉食禁止令」を経て、どのように肉食が広まっていくのでしょうか。

牧元:明治5年になると「天皇が牛肉を召し上がる」という大きな事件があったんです。それまでほとんどの人が牛肉を食べていなかったので、とんでもない出来事だったはず。それまでは、街道沿いに猪鍋の店がありましたけど、以降はどんどん「牛鍋屋」が誕生していきます。牛鍋は今の「すき焼き」とは違うもので、牛を角切りにして味噌とネギで食べるようなものだったと思います。

髙岡:それと同じくして、政府公認の屠畜場ができたことも大きいですね。それまでは、自分たちの店先で処理をしていて衛生的にも十分ではなかったので、政府が動いた。

牧元:屠畜場ができたのは、今里村。今の白金あたりですね。

髙岡:その場所を調べてみたら、今里村っていうのは縄文時代から人を埋葬する場だったんです。要するに、古墳の場所です。古墳群の周りは、公家や上流階級の方々が家をもっていたところ。なおかつ、当時はリアス式海岸の半島で、空や海の地の果てにエネルギーを感じられる場所だったので、由緒正しい場所だったんです。そこに守られるなかで、牛の命を頂戴するという考え方もあったのではないかと思われます。

牧元:「今半」の“今”というのも、今里村から来ているんですよね。

髙岡:よくご存じですね。「今里村から仕入れた牛ですよ」という我々が作った許認可制みたいなもの、ブランドだったんですね。あとは、当時の流行りものという意味で、今様から取ったということもあるみたいです。

牧元:明治22年頃には、牛鍋屋は555軒以上あったと言われています。現在の東京と人口換算すると、約8,200軒。今のコンビニエンスストアと同じくらいの数なので、いかに流行っていたかが分かりますね。

髙岡:柿渋に染めた赤い旗に、白抜きで牛と入れたのが牛鍋屋のサインだったんです。街中に、その赤い旗が掛かっていたんですね。

牧元:あの頃は軍隊もよく食べていたようですね。

髙岡:日清戦争のときに、牛肉の旨煮(大和煮)の缶詰が作られて、それが普及していったそうです。ひとりきりの時はこれを食えというように、全員が持っていたんですね。

もてなし料理としての「すき焼き」の誕生

-牛鍋から、現在の「すき焼き」の形になったのはなぜでしょうか。

髙岡:諸説あると思うので「今半」に限った話ですけど。もともと「今半」も牛鍋屋でした。巨大な店で、たくさんの人たちに向けて超大衆料理屋さんとしてスタートしたんです。ただ、牛鍋屋が550軒を超えてくるなかでは、もうスペシャリティじゃなくなってきた。きっと、価格競争も起きたんじゃないかな。収益性も悪化していくし、お肉の値段が上がってくることもあったと思う。そのなかでより付加価値を上げるためにはどうするべきか、当社としては相当悩んだようです。そこで、上方で始まっていた「すき焼き」というものをデビューさせたと。何とかスペシャリティに持っていって、より大事な時に食べてもらう。誰かのためにもてなしたいという思いの料理屋として再スタートしたようです。

-当時、どういうスタイルでの営業だったんでしょうか。

髙岡:元々は明治28年に牛鍋屋として本所吾妻橋あたりで営業していたんです。大正2年には、地下に総大理石のお風呂があるような巨大な店を作っています。あくまで、大事な人をもてなすということをベースにした店づくりをしているんです。全員お風呂に入って、揃いの浴衣姿なので、あの頃の生きにくさを解消してくれた空間だったみたいです。

牧元:たしかに、昔の料亭は大体お風呂があったんですよ。どんなに偉い人でも、お風呂に入って浴衣に着替えて、日常を消して非日常に入っていくスタイルでしたね。

人形町今半 東京ガーデンテラス紀尾井町店

髙岡:大広間はあるけど、家族だけで利用できる半個室みたいな空間もあって。非日常を一般の人にも味わわせてあげたいといった考えだったと思いますよ。

牧元:ちなみに「すき焼き」って関西から来たと思うけど、砂糖を使ったのはどうしてだったんだろうね。

髙岡:味覚的な話ですけど、肉の旨味って甘いですよね。ただそれは肉単体ではなくて、油と合わさると、甘みが上がってくるんです。その甘みを強く引き上げてくれるのが糖分なんですよ。なおかつ、醤油と合わさるとカラメリゼになる。肉というタンパク質と醤油と甘みが合わさると、今度はメイラードになる。旨味と香りが1番湧き上がるような3大要素がぴたっとくっつくんですよね。 それをきっと見つけられた方がいらっしゃるんじゃないかな。

“焼くように炊く”ブレない老舗の味

-牧元さんが思う「人形町今半」の魅力とは何でしょうか。

牧元:色々なすき焼き店を巡るなかで、同じ店でもベテランと若い仲居さんでは味が違うことがあり「すき焼き」というものは、最終調理を仲居さんがやるということに気付きました。ですが「人形町今半」は、どんな人がやっても“焼くように炊く”という技を同じレベルでやっていただける。バラつきが一切ないんですね。そこがまず、他と違うなと思いました。仲居さんは、訓練とテストがあるんですよね。

髙岡:そうですね。まず、すき焼きの具材そっくりのフェルトで工程を覚えてから、本物の食材で実践が始まるんです。その後、最終チェックを経てデビューになります。早くて3か月で合格しますけど、なかなかパスできないんです。他の人からすると「そこまでやってるの」というレベルで厳しいものですけど、本当に美味しいものを召し上がっていただいたお客様を目にすると、やっぱりブレたくないですよね。なので、みんな鍛錬しています。

牧元:だから僕は安心してお任せできます。あとは、リブロースであったり、ミスジやヒレなど3種類の違う肉で食べ比べできるのも面白いし、肉の勉強をしているなと感じる。さらに、肉以外の具材・ザクもめちゃくちゃ美味しいんです。特に、大好きなしらたきや麩が格別だね。それからこの鍋も特注のものなんですよね。直角90度ではなく、角度が斜めになっているものなんです。

髙岡:鍋は、ホワイトスペース効果を狙ったものですね。常にお客様のために焼いて差し上げるので、鍋の中の肉や具材が良く見えるように、視線をとても大事にしています。新店ができるときは必ず何か月も前に鍋を発注して、各店舗で馴染ませたものを、新店でも使うようにしています。

牧元:以前「人形町今半」でいただいた“ヒレ”が美味しかったんですよ。ちょっと厚めに切ってあった“ヒレ”です。

髙岡:“ヒレ”はあまり「すき焼き」にしないけど、我々がやるならと開発した「ヒレ」があって、それを今は定番にしています。お肉を漬けにするんです。最後に「ヒレ」を食べていただくんですけど、その間ずっと割下に馴染ませておく。馴染むというのは、油と水分がだんだん混じってきて味が乗ってくる状態です。それで焼くとゆっくり火が入り、ミディアムくらいになり美味しいですよ。「こんなに厚い肉をすき焼きでやるの?」って驚かれるんですけど、むしろ厚みを感じず、とろける感じが強くて美味しいです。

牧元:最後に「ふわたまご飯」がまた美味しいんです。これ僕自分で出来るようになりましたよ。ヘラの動かし方でふわっと持っていくんです。

髙岡:元々は、僕が店長だったときに、店長スペシャルとしてやっていたメニューですね。マッキーさんはその頃から気に入ってくれていましたね。これを総料理長と仲居頭がレシピにしてくれて、今の「ふわたまご飯」が出来たんです。

大事な人をもてなす「すき焼き」として輪を広げる

-最後に、業界の未来について、おふたりの思いをお聞かせください。

牧元:すき焼き屋さんって、老舗はあるけど、あまり新しい店ができていないんですよね。でも、もっと手軽に「すき焼き」を楽しめる店ができてもいいなと思いますね。企業努力をすれば、そんなに高い肉じゃなくても色々できるし、楽しいはずです。

髙岡:“集いのための料理”として僕らはやっているんです。美味しいものを食べたときって、大事な人を思い出して、あの人にも食べさせたいという気持ちにもなるじゃないですか。そういうもてなしが生まれるような場所としてこれまでも頑張ってきたし、今後もそれを上げていきたいということが私の企業姿勢なんです。ただし、自分自身を褒めてあげるときの料理としてすき焼き屋さんがあってもいいと思うんです。例えば、おひとり様すき焼きとして、自分で作るんじゃなくて、作ってもらう形。私はとにかく「すき焼き」は、自分をもてなすとき、大事な人をもてなすときの料理であってほしいです。

あと心底思うのは、人が集ってなんぼ、人が集う仕掛けを作ってなんぼなんです。人が集うような料理が本当に増えていけば、そこには輪が生じて、そしてその輪がまた次の人の輪を結んでいくはず。いろんな仲間と一緒になって幸せな時間を過ごすということが色々なところで起きていけば、世の中が平和になると思うんです。世界中の人たちがそういう体験をすると、文化が交わって平和になっていく。僕は「すき焼き」も、世界平和に繋がっていく大事な料理になるんじゃないかと思っているし、それをこう磨き上げていくような人がどんどん集まれば嬉しいですね。

***
プロフィール
マッキー牧元氏
「味の手帖」編集顧問。国内、海外を問わず、年間700食ほど旺盛に食べ歩き、雑誌、テレビ、ラジオなどで妥協なき食情報を発信。近著に「超一流サッポロ一番の作り方」(ぴあ)がある。

髙岡哲郎氏
1961年生まれ。株式会社人形町今半へ入社後は仕入れ、和食調理、精肉調理、販売を経て株式会社東観荘へ出向し専務取締役支配人となる。その後、代表取締役副社長 兼営業本部長 兼 経営企画室長就任し、2023年代表取締役社長に就任。
***

【編集後記】
「すき焼き」への深い知識と愛情を持つ、牧元氏と髙岡氏により行われた今回の対談。「すき焼き」というひとつの切り口をきっかけに、肉食の歴史や文化を知る、学びの深い時間となりました。ぜひ大切な人へのもてなし、自分自身へのとっておきのご褒美として「すき焼き」をいただくのはいかがでしょうか。


※こちらの記事は2025年01月14日更新時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。

Kanaka.S

ウェディング業界を経て株式会社一休へ。一休.comレストランの営業として約200店舗を担当した後、編集部へジョイン。演奏家の父の影響で幼い頃から舞台芸術に触れ、自身も“人に感動に届ける仕事をしたい”という想いを持つ。プライベートでは、好きなエリアのレストランを開拓して、お気に入りを見つけるのが趣味のひとつ。皆さんの“こころに贅沢な時間”に繋がりますように、素敵なレストランの魅力をたっぷりとお届けいたします!

好きなお店:HOMMAGE・渡辺料理店・Lol.
気になるお店:apothéose・CIRPAS・オトワレストラン・鎌倉 北じま

このライターの記事をもっと見る

この記事をシェアする