インタビュー|

「オテル・ドゥ・ミクニ」三國清三氏に聞く、日本の食の未来とは

パリに本部を置き、厳しい審査をクリアした世界62ヶ国、約580軒の高級ホテルや一流レストランが加盟する「ルレ・エ・シャトー」。
今回は日本のフランス料理店として、初めてルレ・エ・シャトー入りを果たした「オテル・ドゥ・ミクニ」のオーナーシェフ、三國清三氏にお話を伺いました。

皿を洗い続けて手に入れた、世界行きのチャンス

―料理の世界に入って50年目を迎える三國シェフ。料理人を目指したきっかけや修業時代のエピソードがあれば教えてください。

うちの実家は北海道の漁村で、非常に貧乏だったんです。料理人になれば食いっぱぐれることはないだろうと、そんな動機で料理の世界に入りました。15歳で「札幌グランドホテル」に入社しましたが、当時は“使いっぱしり”で人間扱いされませんでしたよ。毎日皿洗いです。上京して「帝国ホテル」に移ってからも皿洗いの日々でしたが、当時の村上料理長の推薦で、20歳の頃にコック長としてスイスの日本大使館へ行くことが決まりました。

大使館勤務のかたわら、フランス料理界で有名なフレディ・ジラルデ氏のもとで技術を学びました。退任後も彼のもとで2年、その後ルレ・エ・シャトーを創業したシェフが務める3つ星レストランの「トロワグロ」、「オーベルジュ・ドゥ・リィル」、「ロアジス」、「アラン・シャペル」で修業を重ねました。だから僕にとっての料理の修業は、20歳から28歳までのヨーロッパなんです。

独立から今の「オテル・ドゥ・ミクニ」ができるまで

―その後、フランスから戻られて「オテル・ドゥ・ミクニ」を開業されたのですね。お忙しい今でも自ら厨房に立たれていますが、おもてなしで大切にされていることはありますか?

1985年、開業時のお写真

日本に帰国して1985年、30歳で独立しました。東京は日本の食の中心地です。フレンチレストランも星の数ほどあるなかで、みなさん「オテル・ドゥ・ミクニ」を選んで食べに来てくださる。だからこそ「ミクニに来て良かった」と思ってもらえるよう、その気持ちに応えたい一身で毎日厨房に立っています。

―私も何度か食事にお伺いしていますが、一皿目のキッシュが大好きなんです。

キッシュは10年ほど続けて、1度辞めたんです。でもリクエストが多くて復活しました。名物というのは我々が作るものではなくて、そうやって喜んでもらえることで名物になっていくんですよね。あのキッシュは入社1年目から2年目の登竜門なので、そう言っていただけて嬉しいです。

―フランス料理一筋の三國シェフが思うフランス料理の楽しみ方があれば教えてください。

フランス料理はドレスコードが決まっているなど、堅苦しいイメージがありますよね。でも僕自身もジャケットを着るのは好きじゃないし、ジャケットを着るから料理が美味しくなるわけではないと思っています。気軽に楽しんでもらいたいという想いもあって、「オテル・ドゥ・ミクニ」では最初からドレスコードは設けませんでした。

あとは、フランス料理の固定観念を破りたかった。僕らの時代は「フランス料理はこうあるべき」というのがありましたが、基本があってこそ、本当はもっと自由に好きなように作っていい。そういう点では、今の若い料理人たちへ影響を与えることができたのではないかと思います。だから料理を食べに来てくださるお客様にも、自由に楽しんでいただきたいですね。

―どのようにして固定観念を破る料理を作られるようになったのでしょうか。

僕はたくさんの3つ星レストランで働いてきましたが、すべてが完璧に別ものでした。同じものを作って同じことをしていたら3つ星にはなれない。それが3つ星レストランのひとつであるプライド、個性、想像力です。だから僕がフランスで感じたことを、今の若い世代に伝えたかったんです。

今はみんな自由に好きなように作っていますが、昔は散々言われましたよ。三國のフランス料理はでたらめだとか。でも僕は最初から自分が好きなものを全部取り入れて作っていました。今までそういうフレンチレストランがなかったので、相当バッシングは受けましたね。でもそれはフランスでたくさんのシェフたちから学んだことなんです。個性を活かして、想像力をもって五感をめいっぱい使って、自由でいいんだって。

あとは、「オテル・ドゥ・ミクニ」の営業をしながら、世界各国でミクニフェスティバルを開催しました。香港の「ペニンシュラ ホンコン」やタイの「ザ・オリエンタル・バンコク」、ロンドンではエリザベス女王が来訪してくださったり。そうやって海外で評判を上げたんです。それを聞いた日本人は「三國はすごいかもしれない」と思ったのか、バッシングされなくなりましたね。もしあのまま日本だけで料理を続けていたら、潰れていたかもしれません。

ルレ・エ・シャトー加盟店としての取り組み

―ルレ・エ・シャトーに加盟したのが1991年。1988年に日本支部が創立されているので、その直後の加盟となりますね。

僕はフランスでルレ・エ・シャトーを創業した6人のシェフのもとで働いていました。その経緯もあり、創業者たちが三國を入れなさいと日本料理以外で初めて入会を許されたんです。ルレ・エ・シャトーはフランス発祥で、フランスの3つ星店はほぼ100パーセント加盟しています。だから僕にとってルレ・エ・シャトー入会は、とても嬉しい出来事でしたね。

―ルレ・エ・シャトーはシェフにとって憧れの存在なのですね。他にもルレ・エ・シャトーへの想いがあれば教えてください。

ルレ・エ・シャトーの特徴は、ホテルやレストランに関わらずオーナーがお客様を向かい入れること。そして全員がルレ・エ・シャトーに加盟していることに誇りをもって、お店や宿を経営していることです。
我々は年に1度世界中から集まって会合を開くのですが、そこでお互いを刺激し合うんです。その感覚や彼らへの意識が、僕の働くモチベーションになっています。だから可能な限り厨房に立ち、店のクオリティーを守り、エスプリも表現しなければいけないと思っています。

―加盟してから新しく取り組まれていることはありますか?

うちはオープンして35年を迎えますが、進化すること・変わり続けることをしなければいけないと思っています。進化するには、その時代のものを受け入れて発展していく圧倒的な想像力が必要なんですね。ルレ・エ・シャトーでは、クオリティーも伴って常に想像力と進化を遂げなければいけないという掟があるんです。それができなければ加盟している資格もないし、僕の料理人生もそこで終わり。なので新しいことというよりも、想像力を働かせてその時代に合わせた進化を続けていきたいです。

―進化し続けるうえで大切にされているものとは?

まずは年寄りにならないこと。常に新しい時代の若者のセンスを学んで、自分に取り入れる。僕も年を取って、30歳の頃よりも65歳の今の方が感性は衰えています。でも経験はあるので、若い子たちのセンスを取り入れれば有利になるんですよね。
若いシェフたちの才能豊かな料理や考え方を受け入れて、刺激されて、自分なりに表現する。そうやって一生懸命努力しています。それはフランス料理に限らず、日本料理やお寿司、中華など他ジャンルの影響も大きいですね。

未来の食を守るためにできること

―将来のために食材を守ろうという「サステナブルフード」が話題となっていますが、三國シェフが未来の食文化のために取り組まれていることがあれば教えてください。

うちは父が漁師で、母はお米や野菜を作っていた半農半漁の家庭でした。特に北海道は寒いので、漁師も農家の大変さも知っているし、素材論も根っこから染みついています。素材を大切にするのは当たり前。そして漁師さんや農家の人を大切にすることは、僕のなかでは自分の親を大切にするようなものです。

ただ地球環境の変化は深刻で、温暖化によって自然界のサイクルも変わります。食材は無限ではありませんから、食べているだけでは当然減っていきますよね。このままいけば食べ物がなくなるかもしれません。でもそれは我々の都合で、全部ツケです。実は世界中のマグロやクルマエビを食べ尽くしているのは日本人。日本が高く買ってくれるので乱獲されるわけです。

―我々はどんなことに気を付ければいいのでしょうか。

日本人は、旬を忘れて1年中マグロを食べたいわけですよ。季節を待てなくなって、旬を崩してしまった。それでマグロ漁の禁止令が何度も出て、毎年食べられなくなるとニュースになっています。
でも1年中獲っていたものを半年放っておけば、自然界というのは再生するんです。そういう旬を意識して漁をしようという運動が高まっているので、我々も参加しています。みんなで環境を守りつつ、最小限度のささやかな楽しみを味わえるようになったらいいなと思います。

あとは今、お店が休みの月曜日に小学校へ出向いて食育の授業をしています。そうやって、子どものうちからいろいろと食に関心を持ってもらえるようになったら嬉しいし、それも僕の使命だと思っています。

編集後記
世界的なスポーツイベントの顧問や各地の観光大使を務めるなど、常に日本の料理界を牽引してきた三國シェフ。65歳となった今でも現場主義を貫き、自ら厨房に立ち続ける真摯な姿に、国内外のVIPやご近所のマダムまで幅広く愛されるお店を作り上げられたおもてなしの心を感じました。

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三國清三(みくに きよみ) プロフィール

「オテル・ドゥ・ミクニ」オーナーシェフ。
1954年北海道増毛町生まれ。15歳で料理人を志し、札幌グランドホテル、帝国ホテルにて修業。1974年駐スイス日本大使館の料理長に就任。大使館勤務の傍ら、フレディ・ジラルデ氏に師事する。その後、トロワグロ、オーベルジュ・ドゥ・リル、ロアジス、アラン・シャペル等の三ツ星レストランにて修業を重ね、1982年帰国。1985年東京・四ッ谷に「オテル・ドゥ・ミクニ」をオープンする。2000年九州・沖縄サミット福岡蔵相会合の総料理長を務める。2013年11月、フランスの食文化への功績が認められ、フランス・トゥールにあるフランソワ・ラブレー大学にて名誉博士号(Doctor Honoris Causa)を授与される。2014年9月、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会顧問会議の顧問に就任。2015年 9月フランス共和国レジオン・ドヌール勲章シュバリエを受勲。現在、子供の食育活動や、復興支援活動に取り組んでいる。

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オテル・ドゥ・ミクニ

JR中央線・総武線/東京メトロ丸の内線・南北線 四ッ谷駅 赤坂口徒歩7分

10,000円〜11,999円

アクセス
住所 東京都新宿区若葉1-18

misaki

一休.comレストランの元営業。300店舗近いレストランを担当したのち、もっと世の中に宿やレストランの魅力を発信したい!という思いから、KIWAMINOの編集に。よく食べ、よく遊び、よく働くがモットー。全国各地を飛び回り、インタビュー記事を通してシェフの熱き想いをたくさんお届けできるよう日々奮闘中です。

【MY CHOICE】
・最近行ったお店:GINZA chez tomo/LATURE/TAKAZAWA
・好きなお店:ふらんす料理 オステルリーラベイ
・自分の会食で使うなら:六雁
・得意ジャンル:フランス料理
・好きな食材:赤身肉/鴨/海老/いくら

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