和牛がふんだんに盛り込まれた会席料理が人気を集めている、日本橋小舟町の和牛会席料理の名店「おにく 花柳」。店主の片柳遥氏は、肉割烹という言葉がまだ耳馴染みのない頃から、和牛の魅力を会席料理のスタイルで伝えてきた料理人。
国内はもとより、海外からもその味を求める多くのゲストが、連日訪れています。今回は、片柳氏がこれまで注力してきた事や、今後の展望まで、様々なお話を伺いました。
すべてのきっかけは、牛肉の魅力を教えてくれた父
―料理人を志した経緯を教えてください。
大学に入学し、なんとなく日々を過ごしていたのですが、中学生の頃からオーケストラに所属しており、改めて音楽大学を受験し直そうと思っていました。
そのためにはお金が必要だったので、ホテルでアルバイトを始めたのがきっかけです。働き続けていくうちに、飲食業の楽しさに魅了され、自分の生涯の仕事として料理人になる事を決めました。
今思えば小さい頃から、週末になると父が必ず自分が食べて美味しかったお店に私を連れて行ってくれました。大人が行くようなお店でしたから、静かに行儀良く食べる事になるので子供には少し窮屈でしたが、幼いうちから食事を楽しむ機会に恵まれていたのだと思います。
父は自ら料理するのも好きで、よく牛肉を焼いてくれたものです。食べるだけでなく、調理を手伝わされたりもしました。
学校行事で頑張った時などには、厚切りのステーキを食べさせてくれ、私の心にご馳走の味として、牛肉を噛み締める幸せが深く刻み込まれました。
そのうちに、私が母にも料理を作るようになって「美味しい」って言ってくれたのが、嬉しかったですね。飲食業はお客様が喜んでくれるのを目の前で見られるのが、とても素晴らしい事だと思います。私は人に楽しんでもらうのが好きなので、料理人の道に進んだのは必然だったのでしょう。
予約がなかなか入らなかった開業当初、それでも決して妥協しなかった信念
―最初のお店である「和牛銘菜 然」では、どのような料理を提供していたのか教えてください。
最初は焼肉店の様式でお店を始めたのですが、焼くのをお客様任せにするのではなく「自分が納得のいく調理を施した和牛を食べてほしい」という思いが強くなり、だんだんコース料理の形になっていきました。
旬の食材を活かしつつ、和牛を十二分に堪能していただきたいという気持ちが、最終的に「和牛会席料理」というスタイルに、気が付いたらなっていたという感じですね。
―開業当初から人気店だったのでしょうか。
最初は暇な日が多く、心が折れそうになる事もありました。売り上げが厳しい中でも、ピークを越えた食材を使うような事は、当たり前ですが絶対にしませんでした。自分が本当にやりたい事を続けていれば、きっとお客様に分かっていただける。そう思って営業を続けていると、足を運んでくださったお客様からの評判が自然に広がり、徐々に予約が埋まるようになってきました。
今のようにレビューサイトやSNSで手軽にお店の情報を見られる時代ではなかったので、
口伝で「あそこに行けば、美味しい和牛が食べられる」と通っていただけるお客様が、ゆっくりですが増えていきました。
―開業から10年後に「おにく 花柳」へリニューアルしましたが、どのような変化があったのか教えてください。
数か月前から楽しみにしてくださるお客様の事を考えると、もっと寛げる設えでなければならないのではないか、調理を行うスペースも器具も、より良い環境にしようと、しばらく休業してリニューアルをしました。
和牛は世界に誇る食材だと思っているのですが、その思いにふさわしいお店造りができていなければ、失礼にあたるな、と前々から考えていたので、一念発起して実行しました。
―人気のスペシャリテ「北海道産生雲丹巻き」は、どのように誕生したのか教えてください。
昔、ユッケを提供していた事があったのですが、ある時良質の生卵がどうしても手に入らない事があったのです。
その時に別の用途で偶然に確保していた雲丹があって、色味も悪くないし、和牛に負けない濃厚さもあるから合うのではないかと思い、卵黄の代わりに雲丹を和牛と合わせて仕立ててみたところ、評判になったのがきっかけです。
今では他店でも同じようなメニューを提供していますが、和牛と雲丹という組み合わせはとても気に入っているので、時代に合わせて調理の仕方を変えながら、お出ししています。
まだまだ知られていない美味しい牛肉に、光を当てたい
―和牛の仕入れについて、どのような点に留意されているのか教えてください。
仕入れる際に、和牛に付記されている生産地などの情報を頭に入れないようにしています。
純粋に和牛の色、艶を、余計なフィルターを通さずに自分の目で判断して購入します。
どこの生産地であるとか、未経産の雌牛が最良だとか、そういった情報に左右されず、一頭一頭に対してきちんと目利きをする事が大切です。ただ仕入れた後に、お店で和牛を捌いた時の状態は、今後のためのデータとして記録を付けています。
最近は、特定の牧場やいわゆるブランド牛に特別な注目が集まる事が多いように感じますが、特定の区分けの和牛の中にも個体差はありますし、何よりそれぞれの和牛の長所を活かす調理の仕方があると思っています。限られた牛にしかスポットライトが当たらないというのは、これだけ世界的にも注目されている和牛という食材の未来を考えると、危うい状況でしょう。
ですからお店に来てくださるお客様にも、仕入れのこだわりについてお話しをする事があります。
日本全国を探せば、美味しい牛肉はまだまだ沢山あるという事を皆様にお伝えしたいですし、お客様が「美味しかった」と喜んでくれた事を、生産者にも届けたい。そんな気持ちが日に日に強くなり、遅まきながら私もSNSでの情報発信を始めました。
そこで、本当に美味しかった牛肉の生産者情報などを投稿したりしています。牛を育てるという事は、苦労が少なくありません。良質な牛を育てている畜産農家が、まっとうな評価を得られる流れがないと、後継者も減っていってしまうのではないかという危機感があります。私がここまで来られたのは和牛があったからこそなので、畜産農家に恩返しをしたいという気持ちは非常に強いです。
また、日本酒「東洋美人」を手掛けている澄川酒造場の澄川氏とは、昔から付き合いがあり、よく「自分たちの商売の事だけでなく、この先の事を見据えて業界全体の事を考えていかねばならないね」という話をしています。
昨今は食材以外にも、例えば備長炭など、料理に関わる様々な物の値上がりも激しくなってきています。誰かに言われた訳ではありませんが、それなりに長い年月を飲食業に従事してきて、そろそろ自分が抱いている危機感について、率先して何か行動を起こすべきなのではないか、と思っています。
―今後の抱負を聞かせてください。
本当に美味しい肉牛を育てている畜産農家の方々を、もっと皆様に知っていただきたい。日本人が真面目に肥育している牛肉は、とても素晴らしいという事を改めて伝えていきたいです。
そして国内のお客様もですが、海外のお客様にも和牛の持つ魅力を広く知ってほしい。「和牛はオイリーだ」で終わりではなく、日本で、個体ごとに最適な調理をした和牛を食べていただいて「美味しかった」と思ってもらえるようなお店でありたいです。
実は今年の11月位に、京橋方面へ移転します。17年お店を営んできて44歳。また17年位経つと、もう還暦なんです。
「最後のチャレンジをするなら、今しかない」と思って、決断しました。より理想の設えで、さらにこだわり抜いた仕入れの食材を使って、絶品の料理を自分の全身全霊でご提供したい。スタッフの労働環境も向上させ、調理器具の充実もさらに図りたいです。私はどんどん何か思い付いて、行動せずにはいられないのかもしれませんね。
足を運んでくださったお客様に、もっと満足していただきたい。そのためにはスタッフが一丸となって、良いおもてなしができていなくてはなりません。今の子供たちのなりたい職業の上位に飲食業は入っていないかもしれませんが、私が子供の時は、例えばコック帽をかぶったシェフを憧れの目で見ていたものです。今の若い世代の方たちにも「料理人って素敵な職業だ」と思ってもらいたい。
恩返しという意味でも、そんな未来の実現に、少しでも役立つ事ができれば嬉しいですね。
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片柳遥プロフィール
1978年、岡山県生まれ。大学を中退後、ホテルに入社し修業を始める。その後、都内のお店で研鑽を積んだ後、2006年に日本橋小舟町に「然」開業。2015年には「ミシュランガイド東京2016」にて一つ星を獲得。
2016年に同場所で「おにく 花柳」に店名を変え、「ミシュランガイド東京2017~2022」にて一つ星を獲得。
※こちらの記事は2022年10月10日時点の記事になります。
11月14日より下記に移転しました。
【移転後の住所】
中央区銀座1-14-6 GINZA LOUIS 7階
【編集後記】
片柳さんとお話した中で、料理に直結する事だけでなく、飲食店を取り巻く環境や様々な事に対して関心を持たれ、視野が広く、深い洞察力を持たれている方という印象を受けました。
お店では日本酒のペアリングも好評を博していますが、もともとワインも好きだったとの事。ワインスクールに通い始めたところ、さらにワインが好きになり、なんとソムリエの勉強もしているそうです。「おにく 花柳」のお酒の提案がより充実するのは間違いありません。新天地での片柳さんの八面六臂のご活躍に期待が膨らみ、ますます目を離す事ができませんね。